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2025年は日本映画界初の女性プロデューサー・水の江滝子さんがプロデューサーとしてデビューしてから70年。これを記念して、「日本女性映画プロデューサー誕生70年記念<企画:水の江滝子>ブルーレイ・DVDシリーズ」全29作を4月よりリリースすることが決定しました。
ラインナップの中には一部の映画ファンの間で永らくDVD化が待ち望まれていた、水の江滝子企画×舛田利雄監督×高橋英樹主演『狼の王子』(1963年)も含まれています(DVD発売は4月2日)。
そこで今回は、映画評論家の轟夕起夫さんにこの『狼の王子』について寄稿していただきました。原作となった石原慎太郎の短編小説が映画化に際してどのように翻案されたか、演出と脚本の秀逸さについてフォーカスしています。どうぞお読みください。
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石原慎太郎×舛田利雄×松竹ヌーヴェルヴァーグのハイブリッドな出会い!
文:轟夕起夫(映画評論家)
「俺にはもう何もすることがない……俺が俺であるところへ帰ること、それを自分で見届けること……それ以外にすることがないんだ」
パセティックな、そしてどこか謎めいた「俺が俺であるところへ帰る」という強烈なパンチライン。胸の内を吐き出したのは、高橋英樹扮する主人公の日下武二で、彼の思いを受けとめるのは、浅丘ルリ子が演じたヒロインの菊地葉子だ。双方ともキャリア的に振り返ってみると、本作は突出したパフォーマンスのひとつに数えられるのだが、当該のセリフは原作――すなわち石原慎太郎が1963年4月に、小説新潮へと発表した同名の短編小説には出てこない。わずか6ヶ月後に封切られた映画版、舛田利雄監督による『狼の王子』のオリジナルなのである。
では、映画の描く「俺が俺であるところへ帰る」とはどこを指し、どのような世界を示しているのか? ここでまず、(舛田監督が原作でひときわ気に入った要素の)題名に改めて着目してもらいたい。「狼」の一字は、尖鋭かつ精悍なイメージを喚起させ、しかもそこに、「王子」の称号まで付いてくる。
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さて主人公の原点は少年時代にあり。時は昭和25年(1950年)、そのタイトルが画面に浮かび上がるや、獣のごとき眼光と漲るエネルギーをともなった戦災孤児たちが北九州・若松の闇市を疾走し、生存をかけて放埓に振る舞う日常がオープニングクレジットと並行して活写されてゆく。
これが魅せる。めちゃくちゃテンポがよく、また美術の作り込みも素晴らしくて、たちまち観る者を映画に没入させるのだ。闊達に動き回るカメラワークは、まだ“タケ”と呼ばれているリーダー格の武二(ここで抜擢されたのは演技未経験、夏休み中であった小学生・浜口浩造)を中心とした浮浪児6人組を追いかけ、生々しく一挙手一投足を捉えてみせる。彼らが唯一心を許したのは窮地を救ってくれた黒人米兵(チコ・ローランド)だった。しかし、「男は常に斗うんだ。デモクラシーを護るために」という言葉を残して朝鮮戦争へと駆り出されてしまう。
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6人組は米軍の物資を盗み、さらには黒人米兵のいる朝鮮(現在の韓国)へと密航しようとして、タケだけ警察にしょっぴかれる。が、若松港の石炭荷役を仕切る昔気質の日下組の親分(石山健二郎)に「よか面魂(つらだましい)ば、しちょる」と拾われ、養子扱いで二代目として育てられることに。となると、物語は跡目を継ぐ“やくざ映画”のレールを進んでいきそうだが、その枠を再三はみ出しながら、戦後日本の社会的な歩みを横目に睨んだ日下武二と新聞記者の葉子、二人のクロニクル(年代記)が綴られていくのであった。
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ところで一方、小説ではどうなっているのか。故郷が北九州なのは変わらないのだけれども原点の武二の少年期は具体的には描写されない。で、登場するや、ある組の客分としていきなり東京に逗留しており、やがて手配された青山に居を借りる流れになるのだ。そして葉子はといえば水商売の女で6、7歳は年上という設定。ミステリアスな、何かを秘めた武二に惹かれる彼女は、彼の舎弟分から(口止めされていた)北九州時代について聞き出す。出会ったのは共に、少年刑務所だということ。17、8のときに、ずーっと目をかけてくれた親分を殺され、その裁判の初公判に立ち会って傍聴席の一番前から飛び出し、仇二人を拳銃で大胆にも討ち取った過去を持っていること。そうして、刑務所内での様子をこうも語る。「薄汚え狼みたいなちんぴらばかり集まった中で、武兄貴は黙ってもみんなを抑えてたよ。頭ってよりプリンスだった」。小説内で「狼」の字句が使われるのはこの一回だけ。もしかしたら題名の「王子」には“プリンス”とルビを振ってもいいのかもしれない。
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小説では親分は、市電に乗っているところを刺された、との記述だが、映画では若松の商店街を走る貨物運送専用の市内路面列車でロケされていてダイナミックな趣向に! 加えてアレンジが施され、足を負傷して容易には動けぬ状態の武二の眼前で修羅場が展開するので、彼の怒りの強度も伝わってくるのだった。つまりは一事が万事、短篇を膨らませた映画へのアダプテーションが際立っていて、もうひとつ例を挙げると、葉子が武二と初めて遭遇するのはなんと、1960年の安保闘争のさなか、なのである。
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4年を経て少年刑務所を出たあと、命を狙われる立場となった武二にとって凋落してしまった日下組は安全な居処ではなく、止むを得ず、若松を離れて単身東京へ。類縁の反共団体のやくざ組織に身を置くこととなり、問答無用で国会議事堂前のデモを制圧する役目を担わされるのだ。そこでは、警官隊と衝突した市民の負傷者が続出。だが、武二の立ち位置はニュートラル……というか出所後、「狼」と呼ばれていた野性味は消えかかっており、そんな彼のもとに現れるのが(気持ちは市民側の)現場取材をしている葉子である。あわせて、二人を繋ぐ絶妙キャラも再登場。それは朝鮮戦争から辛うじて帰還した、武二のメンター的存在だったあの黒人米兵で、デモで重傷を負い、葉子の導きによって病院のベッド上で再会を果たす。ところが、負け犬めいた変貌ぶりに武二は深く失望する。「世の中、人間、変わるのだ」と釈明されても、その弁解はまったく彼には届かない。
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が、しかしながら「世の中、人間、変わるのだ」というのはこの映画の大きな主題になっていて、劇中、武二の前で(葉子も含め)様々な人物が現実に振り回され変節するさまを見せる。武二自身も「狼」性を喪失しそうになり、激しく揺れる。本作の秀逸な脚本は企画プロデューサー・水の江滝子の采配により、田村孟と森川英太朗が書いた。二人ともかの大島渚監督の盟友で、“松竹ヌーヴェルヴァーグ派”と目されて各々、『悪人志願』(60)、『武士道無残』(60)と監督作を一本だけ残すも松竹を去り、『狼の王子』執筆時は、大島の独立プロダクション「創造社」の一員だった。
要するに武二と葉子との年代記、繰り返される対話を通して大島渚的な「ディスカッション映画」のエッセンスをぶち込んでいるのだ。先にも記したが脚本が秀でており、この俊英二人に依頼した水の江プロデューサーの感性もスゴい。そして終盤、繁栄と太平ムードに呑まれ、「九州で俺が、子供の頃から過ごした時代が今、終わろうとしている」とつぶやく武二の、「俺が俺であるところへ帰る」という硬質な論理と行為をしなやかな映像で肉付けした舛田利雄監督の演出もまた素晴らしい。あくまで「狼」であろうとする武二も、反発しつつ受容する葉子も、ヒロイック一辺倒には傾かず、どこか乾いた目線で眺めている印象を受け取れる。
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ちなみに原作者・石原慎太郎は1960年、浅利慶太主宰の劇団四季のために戯曲を書き下ろしていて、付けたタイトルが『狼生きろ豚は死ね』。幕末が舞台で、「狼」みたいな眼の光を放っていた男が坂本竜馬の護衛を務めるうちにその光を失うも、最後、政治と権力に戯れる竜馬らを「豚ども」と罵倒し、斬り倒す。周囲に翻弄、操られた挙句、「それが何になりはしなくとも、私はもう自分を裏切りはしない。私はもう一度解き放ってやるのです。もう一度自由になるだろう。ふむ、なんという自由だ――」とほとんど逆上しながら。
当時の若き石原は、男にゾッコンの女にラスト、突然、どこかシニカルな調子でこう言わせて幕を閉じている。「あんたの眼がまたあの頃と同じように光って来たわ。さあ、いこうよあんた。もうこれで自由なんでしょう。憑きものも落ちたんでしょう」と。田村孟と森川英太朗が、どこまで意識したかは不明だが、映画『狼の王子』のスタンスと重なる部分もあり、『狼生きろ豚は死ね』はきっと本作の補助線、副読本となるだろう。
最後に。舛田監督はあえてカラーではなくモノクロームを選んで、初めて組むこととなったカメラマン・間宮義雄にビジュアル面を任せた。躍動感に満ちた移動撮影を得意とし、浅丘ルリ子の「典子三部作」=『憎いあンちくしょう』(62)、『何か面白いことないか』(63)、『夜明けのうた』(65)といった蔵原惟繕作品の多くを支えたエキスパートだ。美術はこちらも名手、大御所の千葉和彦(一彦)。他にもスタッフは贅沢な布陣が揃っている。キャストに目を向ければ、少年刑務所で武二の命を狙うチンピラに藤竜也(新人とクレジット)。東京で世話をする兄貴分に垂水悟郎。古き任侠道に生き、立回りまで見せる叔父貴役の加藤嘉など、適材適所である。舛田監督の次作は間宮義雄、千葉和彦らとの再度のタッグで、石原裕次郎、浅丘ルリ子共演のあまねく知られる日活ムード・アクションの傑作『赤いハンカチ』(64)。だが、『狼の王子』も比肩する作品で、しかもその、(惹かれあう男と女がどうしようもなく互いの価値観をバトらせる)魅惑のムード・アクションの“芽”はすでにそこに認められ、垣間見えるのであった。
『狼の王子』撮影風景。サングラスをかけているのが舛田利雄監督。©日活
【参考文献】
・『別冊小説新潮17(4)[(226)]』(新潮社)「狼の王子」
・『映画監督 舛田利雄』(シンコーミュージック・エンタテイメント)舛田利雄/著 佐藤利明/編 高護/編
・『石原慎太郎文庫7』(河出書房新社)「狼生きろ豚は死ね」「鴨」他
・『石原愼太郎の思想と行為6 文士の肖像』(産経新聞出版)「狼生きろ豚は死ね」初演に際して 浅利慶太との対話
日本女性映画プロデューサー誕生70年記念 <企画:水の江滝子>ブルーレイ・DVDシリーズ『狼の王子』DVD4/2(水)発売!
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<『狼の王子』作品概要>
昭和25年、北九州。戦後の混乱がまだ痛々しく尾を引いている。タケ、ギン、サブ、ヨシ、カネといった浮浪児の一群もその影の一部分であった。今日の食い扶持を見つけなければ明日の命すら危うい浮浪児たちの中で、タケは狼の子供のように鋭い眼光と闘志を持ち、彼らのリーダー格になっていた。やがて彼らは韓国へ脱出しようとして捕まり、ヤクザの親分・日下に見いだされた。5年後、成長したタケこと武二は日下組の若大将になっていたが、5年前とは打って変わってじっと物事を考えこむ控えめな性格になっていた…。
出演:高橋英樹 川地民夫 浅丘ルリ子 石山健二郎 内藤武敏 垂水悟郎 田中明夫 加藤嘉 高品格 チコ・ローランド 河上信夫 鈴木瑞穂 木浦佑三 藤竜也(新人)
監督:舛田利雄 企画:水の江滝子 原作:石原慎太郎 脚本:田村孟 森川英太朗 撮影:間宮義雄 照明:熊谷秀夫 録音:沼倉範夫 音楽:伊部晴美 美術:千葉一彦 編集:辻井正則 助監督:樋口頴一
<DVD詳細>
発売日:2025年4月2日
品番:HPBN-610
価格:4,400円(税込)
仕様:16:9LBスコープサイズ モノクロ 片面1層 1枚組
オーディオ:オリジナル(日本語)2.0chドルビーオーディオ
時間:約103分(予定)
特典
●映像特典:各ディスクに予告編・ギャラリーを収録
●特製アウターケース、ピクチャーディスク
※特典は予告なく変更となる場合がございます。
発売元:日活
販売元:ハピネット・メディアマーケティング
商品詳細
https://www.nikkatsu.com/package/HPBN-610.html