映画『パリよ、永遠に』

Interview

アンドレ・デュソリエ インタビュー

―このプロジェクトに惹かれた理由を教えてください。

あまり知られていない歴史の一章を描いていることに興味を持ちました。
当時、実際にパリを襲う“大惨事”がすぐそこまで迫っていたのです。舞台を演出したシリル・ジェリーも、『パリよ、永遠に』を監督したフォルカー・シュレンドルフも、人間の良心、それぞれの国と国民を代表する二人の主人公が互いに向き合うこと、そして“国”という枠を超越していくことの重要性を作品に持ち込みました。主人公二人にとっては危険なことでしたが、お互いの境界線を意図的に踏み越えたということに最も注目すべきだと思います。

―ノルドリンクとコルティッツはどのように対峙したのでしょうか。

彼らは二人とも頭がよく、巧妙でした。ノルドリンクは洗練された外交官として、手持ちの札をすべて使い切りました。こと外交に関して言えば、結果が手段を正当化するのです。
ノルドリンクは、心からの話し合いと嘘とを絶妙に織り交ぜながら説得をしました。外交にとって本当に重要なことは、チャンスをとらえることです。二人はタフな戦いの中で、互いの弱点を暴露し合います。
二人は両極端ですが、同じ人間的感情を持ち、お互いに感情移入できる相手です。二人は最初こそ敵対していますが、合意形成を重ねていく中で、ノルドリンクはコルティッツの敏感な心の琴線に触れていきます。

―ノルドリンクという人物をご存知でしたか。

『パリは燃えているか』(96/ルネ・クレマン監督)で、オーソン・ウェルズが演じているのを見て知りました。外交交渉が実際に行われていた2週間について、多くのリサーチを行いました。ノルドリンクはドイツ囚人の釈放の代わりに、ドイツ空軍のフランス警視庁への爆撃中止を交渉しました。彼の仲裁と交渉があったからこそ、パリは破壊と、数千の死傷者という悲惨な結末を免れたのです。1944年8月25日の新聞には、上院議会、オデオン座、凱旋門、トロカデロなど重要な場所に地雷が設置されていたことを報じていました。

ニエル・アレストリュプ インタビュー

―この物語に惹かれた理由を教えてください。

私にとって、この物語は緊張したサスペンスでした。パリが破壊されなかったことは歴史が物語っていますが、同時に、観客の心に生まれる不安というパラドックスの上に物語は成り立っているのです。初対面のアンドレ・デュソリエと舞台で共演できることにも興奮しました。

―コルティッツのキャラクターをどうやって作りましたか。

彼は軍人家系に長男として生まれました。勇気、犠牲、規律、愛国心といった価値に基づき厳しく育てられ、当初は筋金入りのナチズム信奉者としてナチス党に参加しました。私はコルティッツの伝記に目を通し、1960年代にバーデン=バーデンで行われたインタビューを読みました。コルティッツは誰よりも“軍人”であり、命令に背くことなど毛頭考えていない人物です。結果的に彼が任期の最後にパリを救うことを決断したことは、とても驚くべきことです。そこで、私は彼に人間性を与えることを考えました。映画を観終えてから、観客がほんの少しでもコルティッツに自分を重ねることができるようにすることが重要でした。

―フォルカー・シュレンドルフ監督、アンドレ・デュソリエとの仕事はいかがでしたが。

先に舞台でもコルティッツを演じていたのですが、フォルカーは舞台で得た経験や知識を理解し、尊重してくれました。俳優が演じやすい環境を作ってくれましたし、撮影のペース配分にも心を尽くしてくれました。だからこそ映画の撮影チームは強い絆で結ばれたのだと思います。
アンドレとはともに高い目標を掲げていました。お互いに高め合うことができたと思います。アンドレは厳しさを求める仕事熱心な人なので、お互いに認め合い、力の限りを尽くすことで観客のための完璧を心から目指しました。

フォルカー・シュレンドルフ監督 インタビュー

―このプロジェクトに惹かれた理由を教えてください。

戦争は人間を極端な状況に追い込み、人間性の“最善”と“最悪”を引き出します。フランスとドイツが対立するこの時代は、想像を絶するものでした。二つの国の過去の関係性を振り返ることは、興味深いことだということに私は気づいたのです。もしもパリが破壊されていたとしたら――現在のフランスとドイツの結束が生まれたか? またヨーロッパが立ち直れたか? 私は疑問に思います。もう一つ、私が興味を惹かれたのは、私自身が「パリ」という街に敬意を払う好機だったからです。17歳のころから街を歩き回り、全ての橋と記念的建造物を知っています。私はパリを愛していますし、50年を経た今、パリが生き残ったことを祝福できるのは、本当に光栄なことでした。

―ノルドリンクとコルティッツの「会合」についてリサーチをしましたか。

50年代に書かれた二人の伝記を読みました。二人の会合は、私たちが映画で描いたような一夜のものではありませんが、実際に二人はホテル ル・ムーリスなどで何回か会って、ドイツの政治犯とフランスのレジスタンス捕虜交換を交渉していました。8月20日から24日までの間には、ある種の休戦も合意しています。レジスタンスはパリ警視庁への侵入には成功しました。しかし、パリ市内にはドイツ軍がまだ残っていたのでレジスタンスが体勢を立て直すためにも、また、ドイツ軍がレジスタンスの伏兵に襲われることなくパリ市内を歩くためにも、お互いに休戦が必要だったのです。さらに二人は、パリの美しさや破壊の危機が迫っていることについても話し合いました。

―キャラクターをどのように発展させたのですか?

コルティッツは、困難な苦境にありました。彼は軍人としてヒトラーの忠実な兵士の一人であったために、ヨーロッパ東部のユダヤ人虐殺に加わり、ロッテルダムを破壊したと伝えられています。しかしながらそういった殺戮・破壊行為は、プロイセンの兵士の伝統の中では戦争犯罪とされてきました。実際、将軍は、長い歴史を持つ将校の家系の3代目か4代目にあたります。同時に彼のアイデンティティは、たとえプロイセンの伝統に反しようとも、服従という軍隊の規則の中にあるのです。それが効果的な軍隊の基礎であり、自国への愛であり、家族の名誉なのです。だからこそ1944年の8月、全てのドイツ人将校が勝利を信じていた訳ではないその時でさえ、コルティッツはパリを破壊するという命令を受け入れ、喘息の発作に耐えていたのです。彼は命令を実行することができませんが、自分の任務を放棄することもできませんでした。それは選択の自由という問題ですが、彼には選択の余地はありません。彼には自分がやるべきことが分かっていましたが、それを行う強さがありませんでした。彼は決心することができず、代わりに病が彼を支配するのです。
この時、まるで救世主のように、ノルドリンク総領事が現れます。将軍が彼を最初、泥棒のようにスイートルームに入り込んだ侵入者と見なしていたとしてもです。実際、総領事が出て行こうとするたびに、まるで彼を引き留めるかのように、何かが起こります。それは彼の無意識の声なのです。総領事は戦争終結を望んでいます。彼は目的を達成するためなら何でも行います。私の狙いの一つは、総領事の勇気と献身と仕事に賛辞を贈ることでもありました。

―二人のキャラクターはまるでチェス・ゲームをしているかのように慎重に対峙します。

それはむしろボクシングの5回か6回のラウンドに似ています。互いに次の一撃を慎重に準備しますが、ノックアウトはありません。私は脚本をいくつかの音楽的な動きに分けました。対戦相手がどんな反応を見せるか二人のキャラクターが探り合うアンダンテの導入部に続き、猛烈なスピードでテンポが速まるフリオーソがあり、そして静かな瞬間が訪れます。アンドレ・デュソリエとニエル・アレストリュプは、お互いに完璧を目指し、高め合っていました。この二人だからこそ、緊張感みなぎる駆け引きが生まれたのだと思います。

―パリという街が果たす役割は何ですか?

パリはこの映画に撮って物語の舞台でありながら、第3の登場人物です。
しかし、あるところまでは、パリは“アウトサイダー”でなければなりません。物語を密室に置いて、緊張感を保たなければならないからです。
そして、クライマックスにパリの街を一望できるル・ムーリスの屋上からの眺望を観た時に、パリの街の存在を改めて認識し、この街の美しさに気づくのです。
撮影監督のミシェル・アマテュー、プロダクション・デザイナーのジャック・ルークセルと共に、パリをプロットの一部にするよう努めました。私は街が透けて見える透明な間仕切りを使うことさえ考えました。結局私たちは写真や絵画にインスピレーションを得て、明暗のはっきりした、時々停電の起きるスイートルームを撮影することにしました。時間の経過という概念を、そして大詰めが近づいているということを伝えることも、私たちにとって大事なことでした。再び空が明るくなった時、連合軍が街に到着したという事実を私たちは知るのです。