夏十さんとぶつかると 白旗を揚げるのは僕の方 |
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---『かあちゃん』は市川監督にとって、長い間大切にされてこられた企画と聞いています。それは夫人の和田夏十さんが脚本を遺されていることからも窺い知れるのですが。 市川:『かあちゃん』は大好きな山本周五郎さんの下町モノのなかでも、僕も夏十さんも特に気に入っていた名作でした。最初に読んだときから「いつか、これを映画化したいね」と二人で話していました。57年頃、僕が大映で三島由紀夫さんの「金閣寺」の映画化(『炎上』)を進めていた時、住職さんからクレームがついて映画化が暗礁に乗り上げたことがあったんですが、ちょうどその時に、大映京都の撮影所長から「今度、新人監督をデビューさせるので、ついては市川さんと夏十さんで何かホン(脚本)を書いてほしい」と頼まれたんです。僕としては、将来のある新人監督にいい加減なホンを提供するわけにはいかない、かと言って「金閣寺」のことも気になってそれどころじゃない。そこで前からいろいろ考えていた「かあちゃん」を、あれだったらきっといいものになると思って「夏十さん、あれを書こうか」と引き出しを開けてしまったんです。結局、ほとんど夏十さんが書いて、いいホンがあがったのですが、その後、新人の作品だから、60分の中篇にしてくれとかの注文が出て、ホンを削ったりしなければならなかった。だから、脚本のクレジットも二人共通のペンネームの久里子亭にした筈です。でき上がった映画(『江戸は青空』)も見ましたが、悔いも残った。夏十さんとは、何年かたったら僕たちで心ゆくまで「かあちゃん」をやろうね、と言っていたんです。 ---結局、実現せずに夏十さんも亡くなられて、ずっと時間がたってしまったと。 市川:僕のなかではずっとくすぶっていたのです。それで昨年、映像京都の善さん(西岡善信)と次の作品を話し合ってとき、そろそろどうだろうか、と思った。つまり『かあちゃん』は江戸幕府の政治が混沌として庶民の将来に展望がない時代の話でしょう。今の時代にちょっと似てるんじゃないか。それで竹山洋さんにホンを加筆してもらった。映画というのは、単純なヒューマンドラマではダメで、現代性にどこか通じていないとダメなのです。 ---今回、クレジットで久しぶりに和田夏十さんのお名前に接して感慨がありました。 市川:クレジットされたのは『東京オリンピック』が最後だったですね。夏十さんは、そのあと僕が脚本で困っている時には、何かとアドバイスしてくれました。もともと、あれだけの名脚本が書ける人なんだけど、プロとしての意識はあまりなかった。ダンナが頼むからしょうがなく書いているんだ、と(笑)。ですからホンを書く時も応接間の机で書いたり台所で書いたり。あの人のやりたいことは、子供の育児や家事、そして少しエッセイを書きたいとか。これらも見事でしたね。作品によっては、ホンの内容でぶつかることもありましたよ。書くものは人間とか人生とかにかかわることですから、お互いの考えの違いが解ることがある。夫婦ゲンカではないですが、何となく、2、3日口をきかない(笑)。しかし白旗を先に揚げるのは僕のほうでした。 |
行き詰まった時代の中で ごく平凡な人間性を描き出したい |
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---岸惠子さんのキャスティングは監督のたっての希望だそうですね? いわゆる従来の母モノの女優さんのイメージとは違うような気もしたのですが。 市川:そうですね。でも僕は直感で「これは惠子ちゃんだ」と思った。『おとうと』『悪魔の手毬唄』の時と同じです。いつも言うんですが、あの人は「マナ板の上の鯉になる」んですよ。これは女優さんのそれぞれの個性によるので一概には言えませんが、それは彼女が小津さんや豊田さんという名監督と的確に、いいお仕事をされてきたというか、監督とのコミュニケーションを体得されているからだと思うんです。だから逆に「どうにでもしてくれ」と自信を持っていえるのだろうと。まずこれが惠子ちゃんの女優としての特性です。僕は彼女にこんなふうに演じてくれと、あまり沢山な注文はしません。ただ、こういうホンで、メークで、衣装だよ、と。それだけであの人は理解してくれる。例えば衣装の着付け。これもあの人はあまり意識してないでしょうが、実にリアルなんですね。 ---市川監督は、毎回、新たな試みをされますが、今回は全篇にわたって、いわゆる“板付き”(足腰が最初から舞台にとどまっている状態)の演技を中心に構成なさっていますね。 市川:限られた空間の物語ですし、いろいろ工夫しましたね。居酒屋の場面ではキャラクターを強調しようと四人を横に並べてみたりね(笑)。家族がみんなで座って喋っている場面が多かったものですから、カメラのポジションとライティングに新しい試みもやってみました。動きがないのに、何かが静かに、激しく、進行しているように。カメラの五十畑君とも相談してアップのライティングを変えたりして。 ---美術の西岡善信さんとはどのような打ち合わせを? 市川:舞台としては限られているが、映画的な広がりを出すにはどうしたらいいかということですね。いちばん難しかったのは長屋の間取りです。狭いと撮りにくいし、広いと嘘になる。それを善さんとディスカッションしながら、いろいろと工夫しました。壁、襖の色や模様もね。特に今回は映像を脱色するという新しいことをやりましたので、何度もテスト撮影をした。 ---「おかつ」さんを中心にした、親も子も互いに寄りかからない家族像というのは、今、逆に失われつつあるもののように思いますが。 市川:行き詰まった時代のなかで、とびぬけた義侠心ではなくて、ごく平凡な人間性が描き出せればと思ったのです。今、忘れがちな人情というものを下敷きにして、落語調の面白さを、ちょっぴりいただきながら、ま、乾いた現代に問う滑稽譚とでも言いますか。「かあちゃん」という人間の健気さと小気味よさと、苦心サンタン振りを中心にしたあたたかい物語でもあります。俳優さんも、みんなよく演じてくれました。 |
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