岸恵子と市川崑
 『かあちゃん』で、クレジット・タイトルが始まり、“脚本・和田夏十”と(竹山洋氏と連名で)浮かび上がった時は、まるでご当人が健在で、現役で活躍しているような感慨が沸いてきた。亡くなって18年余たっているのである。
 和田夏十は、そのユニークな筆名の由来を尋ねられると、納豆が好きだから、などとマスコミの取材をはぐらかしていたようだ。“和田”は旧姓でも何でもなく、NHKアナウンサー、和田信賢のひいきだったことに因み、“夏十”はヒッチコックの『三十九夜』(35)やルネ・クレール『幽霊西へ行く』(同)で知られる風格ある二枚目俳優、ロバート・ドーナット(Robert Donat 1905~1958)のファンだったことに因んでいる。当初、市川監督との共同筆名だったが、和田夏十のクレジット3作目『恋人』(51)から、夫人単独の筆名となった。
 お二人の共同筆名としては別に“久里子亭”が作られ、これまたごひいき、アガサ・クリスティに因んだもの。
 和田夏十シナリオは久里子亭名義や他人との共作を含め、映画化38作品、テレビ6作品があるが、市川崑監督以外に提供したシナリオは、『かあちゃん』の原シナリオである『江戸は青空』(58)、『流転の王妃』(60)、『足にさわった女』(同)の3作品しかない。
 和田夏十ご当人は、職業的シナリオ作家である以前にまず、映画監督市川崑の妻であり、それを自らに実証するために、市川崑映画のシナリオを書く、という認識に立っておられたという。それだけに今回『かあちゃん』が、市川崑自ら監督するのは大きな意義があるといえるだろう。
 『太平洋ひとりぼっち』(63)の折り、市川監督は、映画化不可能な題材だと思ったが、ラストシーンを黄色い色調で撮ろうと閃いたとき、映画化の決心がついた、と発言していた。和田夏十の表現に従えば、シナリオは「ストーリィではなく、映画を書く」ものであり、夫である市川崑監督の劇映画第1作から“閃き”を与え続けたのである。例えそこに、和田夏十という名前がクレジットされていなくても、実質的に市川作品に大きな貢献を果たしていたのだ。前述した作品数の数字以上に、和田夏十シナリオは多いといえる。
(浦崎浩實)
おとうと
細雪
悪魔の手毬唄
黒い十人の女

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