-プロジェクト発足の経緯についてお教え下さい
弊社も映画製作を開始して90年以上の歴史があり、松竹が持っている財産を積極的に運用していくべきであるという方針があります。2003年には小津安二郎監督の生誕100年のキャンペーンなど、様々な節目で、このような映像資産を展開しております。
木下惠介といえば、松竹の中でも小津監督に続く大巨匠との位置づけにあります。2009年に田中絹代さんの生誕100年のキャンペーンを実施した後に、次のプロジェクトとして木下監督を全社的に取り上げようと決めたのが最初です。
木下監督は、小津監督と比較すると、国内外において必ずしも正しく評価されていないという認識がありましたので、ひとつのブランドとして「木下惠介」という名前を広めていきたいという考えがありました。
2011年までは、そのブランドを高めるための下準備期間として、社内でプロジェクトの土台を築いておりました。
そして、今年の3月15日に記者発表を行い、対外的にも正式にこのプロジェクトが発足いたしました。
-実行委員会組織の名称が『ひとつ木の下プロジェクト』と個性的ですね
このプロジェクトは松竹一社だけの形にするのではなく、新作映画の製作委員会方式のように、プロジェクト参加団体がそれぞれのメリットを持ち寄り、効果的に活動できる座組を考えました。
木下監督作品の特徴として「ロケが多い」というのがありましたので、組成にあたっては、ロケ地など地域と密接に組むのが良いだろうと考えました。
そのロケ地の1箇所として、まずは木下監督の一般的に最も有名な作品である『二十四の瞳』のロケ地・小豆島町。そして監督生誕の地・浜松市にも中心的な立場としての参加協力を戴きました。
小豆島には「オリーブの木」、浜松は「松」、そして松竹は「松と竹」とそれぞれ樹のイメージがありましたので、プロジェクトの名称は監督の名前も併せ、関係各所が皆でひとつの木の下に集まってプロジェクトを成功させようというコンセプトに名づけました。
また、その他にも9の自治体に協力を戴けることとなりました。例えば北九州市は来年ちょうど市制50周年を迎えるということで、過去の北九州市を振り返る映像として木下監督の作品(八幡製鉄所が舞台の『この天の虹』)を使用戴いております。
-プロジェクトロゴ・イメージデザインの設定などについて
木下惠介監督は、日本映画隆盛期に数々の作品を生み出し、黒澤明監督と共に人気と評価を二分した監督ですが、残念ながら現在は小津安二郎監督や黒澤監督に比べて知名度が低い。映画が好きな方でも、「『二十四の瞳』という作品を撮った監督」と説明してやっと思い出して戴けるということがあります。
木下監督は映画で活躍した後にテレビの世界に踏み入れた方なので、特に40~50歳前後の方には「テレビドラマの人」という印象が強くあるようです。
また、作品についても『二十四の瞳』や『喜びも悲しみも幾年月』が余りにも大ヒットしてしまったために、木下監督といえば「愛と涙の叙情作品」といったイメージがあります。しかし、実際に創られた作品を観てみるとコメディあり、社会的作品あり、また極端に悲劇的な作品などもあり、非常にバラエティに富んでいます。
実は、木下監督は自己模倣を否定していて、一度使った手法を二度は使わない主義を持っていたそうです。チャレンジ精神が高く、日本で初めてカラー作品を撮ったのも木下監督でしたし、オールロケの作品を撮ったり、逆に全てセットの中に山や田畑を作って撮影するなど、革新的な監督でした。
余りにもイメージの異なる作品を多数送り出していたために、例えば『二十四の瞳』と『楢山節考』、『破れ太鼓』が、同じ監督の作品として結びつかない方がほとんどです。
ただ、改めて作品を眺めると木下監督ならではの根底に流れるものが確かにあります。それは監督の作品に「ヒーロー」がいないということでした。常に「市井の人々」の生活を題材に作品が描かれています。木下監督が残した言葉に「映画監督は本当の人間を描くのに日夜苦労している」というものがあります。
同じ一人の人が、今日は泣いたのに、明日は笑っていたりする。同じ人間の中に、弱い部分も強い部分もあり、綺麗なところもあれば、醜いところもある。その部分部分を切り取ると、あるときはコメディになり、あるときは悲劇になる。そういった人間の本当の姿を切り取って映画にしていったのが木下監督なのだという考えになりました。
その考えをデザイナーさんなどと打ち合わせていった結果、「人生は、いろいろあるから美しい。」というキャッチコピーとなり、ロゴマークやイメージデザインが出来上がりました。
作品のバラエティ感をロゴでは七色の虹で表し、メインビジュアルでは、木下作品の中で描かれる、老若男女さまざまな人々の喜怒哀楽の物語を、表情と色を使い象徴的に表しています。
-各地での実施プロジェクトについてお教え下さい
プロジェクトの中でも松竹としては、上映やDVD販売、放送、配信、イベントといったところを担当しております。
ちょうどプロジェクト発表を行った2012年3月には、木下作品を15作品つないで制作した、サントリーの「ザ・プレミアム・モルツ」のCMを放送しました。
また浜松市では木下惠介記念館、小豆島町では二十四の瞳映画村において、様々な展示会、イベントなどを行っています。
松竹・浜松市・小豆島町の3団体共同で行っているものとして、「木下惠介の丘」プロジェクトがあります。これは、浜松市にある「はままつフラワーパーク」内に、木下映画を通じた市町の絆を強めるものとして、松竹からは100年の記念碑を、小豆島からは島の象徴であるオリーブの木を寄贈し、監督の功績を顕彰する場を作ろうというものです。
この「木下惠介の丘」は、監督の生誕の日である12月5日に完成式典の実施を目指します。
また、浜松市と松竹が一体となって製作する記念映画も予定しています(後述)。
-日本や世界で特集上映を行っていますね
日活さんも巡回上映などを行われていましたが、松竹でも木下監督作品をきちんと海外に紹介したいと考え、ブエノスアイレスを皮切りにカンヌやヴェネチアなどで上映を行い、また今後も展開を予定しています。
実は海外での上映を前に、社内のフィルムを調べたところ、実は木下監督の49作品中、英語字幕がついていた作品が、いわゆる「叙情的作品」ばかりで、本来の監督の作品をこれまで伝えていなかったことが分かりました。そこで、2年ほどかけて20数本の作品に英語字幕をつけました。
おかげさまで、カンヌクラシックスで『楢山節考』、ヴェネチアクラシックスで『カルメン故郷に帰る』が選出され、また現時点でも世界10カ国15都市での上映が決まっています。
そして、世界での展開を元に日本においては生誕の日である12月5日を挟んだ11月23日~12月7日に東劇において特集上映『木下惠介生誕100年祭』を開催します。
今回、プロジェクト内においては、特定の作品を推すことは出来るだけ行わないようにしています。例えば特集初回の作品を『楢山節考』にしたり、最初の3日間にはこれまでの木下惠介監督のイメージを覆すような作品ばかりをラインナップするなど、監督に興味を持っていただいた方に様々なタイプの作品をご覧いただくことで、新たな驚きを感じていただけるような作品編成を目指しています。
期間中、12月1日の映画の日には、山田太一さん、橋口亮輔さん、長部日出雄さんなどにご登壇いただいてのシンポジウムも開催します(詳細は公式サイトへ)。
-デジタルリマスター作品の選定についてお教え下さい
今回のプロジェクトでは、『楢山節考』と『カルメン故郷に帰る』を新たにデジタルリマスターを行い、既に以前デジタルリマスターを行っていた『二十四の瞳』とあわせて3作品をブルーレイ版で発売しました。
※ブルーレイには、『二十四の瞳』を橋口良輔監督(『ぐるりのこと。』)が、『カルメン故郷に帰る』を本木克英監督(『ゲゲゲの鬼太郎』)が、『楢山節考』を原恵一監督(『河童のクゥと夏休み』)が手がけた2012年度版予告篇、その制作過程を追ったドキュメンタリー他、充実の特典映像を収録しています。
一般のイメージでは、木下監督といえば『二十四の瞳』に続くのは『喜びも悲しみも幾年月』では無いかと思いますが、今回のプロジェクトではあえて同じ叙情的な作品はセレクトしませんでした。
『楢山節考』については、(来年公開の記念映画を手掛ける)原恵一監督も「木下監督の映画技法が最も進化した状態で注ぎ込まれている作品」と述べられています。また、かつてフランソワ・トリフォー監督が作品を観た時に「神よ!なんという美しい映画だ!」と仰った作品ですので、この映像美は今回のプロジェクトにおいて、海外に通じる最も相応しい作品だと考えています。
『カルメン故郷へ帰る』は、日本で初めてカラーで撮影された作品で、まだカラーでの撮影技法が存在しなかった中で、他の監督から直々に指名されて撮影したという作品ですし、またカラー版と白黒版の2種類存在するという、映画史上稀有な作品であったということで、日本の映画史上でも重要な位置づけであるという認識の元、セレクトしました。
-プロジェクトの事業期間はいつまでを予定していますか
プロジェクトは12月5日を境に前後約1年と考えています。
2012年3月の発表から対外的には事業がスタートしていますが、そこから1年間かけて新たなファンを育てて行き、そして、2013年6月1日に公開の記念映画『はじまりのみち』で一応の大きな区切りとしております。
『はじまりのみち』は、戦中、惠介が脳溢血で倒れた母を疎開させるために兄・敏三と便利屋と三人で山越えした、という木下監督の実話を軸に、戦争という時代のうねりに翻弄されながら、母を想う子、子を想う母の真実の愛の物語を描き出します(映画オフィシャルサイト)。
映画以外でも、松竹には演劇の部門がありますので、年明けからは木下監督にまつわる舞台公演が決定しています。
その他、木下監督自身とは直接のつながりが無くても、残された作品に影響を受けた、映画人・テレビ人が数多くおりますので、その方々にお願いしてイベント展開などを随時実施して行く予定です。
また、木下監督のテレビドラマの商品展開も行っており、その放送も年末から来年末にかけて行っていきます。山田太一さんが初めて脚本を手がけたドラマが「木下惠介劇場」であったことなどをきっかけに、山田太一さんのファンが、映画監督としての木下惠介を見直してもらうきっかけになればと思います。
-100年事業にあたって担当者としての想いをお聞かせ下さい
先日別の仕事で、アンティークにこだわったお店の方とお話をする機会があり、そこで「アンティークとは100年以上経ったもの」という定義があるということを聞きました。100年という月日が経つと、確実に製作者自身は亡くなっている。それでも作られた作品は時代を超えて生き続ける。手がけた作品がアンティークとして後世に残っていくこと、それが職人の憧れであり目標なのだそうです。
木下監督の作品にしても、日活さんの作品にしても、100年を超えてなお生きる作品があるということは、やはり凄いことなんだという感覚が沸きました。
自治体とのコラボレーションでは、今回は木下惠介監督作品のロケ地と直接は関わりの無い自治体からも後援を戴いております。作品に出演されている女優さんの関係だったり、過去に別のプロジェクトでご協力させていただいた自治体が、継続して日本映画を応援していきたいというお気持ちで参加していただいたりしています。今回のプロジェクト後も別のプロジェクトを準備しておりますので、いずれは全国の自治体から映画文化全体を支援いただけるよう、広げていきたいと考えています。
コンテンツホルダーの立場からも、やはり松竹一社だけでなく、映画業界全体として各社共同で様々なコラボレーションを今後行っていきたいので、今回のプロジェクトがその一歩になれば良いですね。
また、今回のプロジェクト単体としては、この先100年が経った時、日本の名監督の1人として、現在の小津監督・黒澤監督などと同じように、誰もが木下監督の名前を挙げてもらえるような時代になってくれればという想いで取り組んでいます。
-最後に、同じ100周年を迎えた弊社へメッセージをお願いいたします。
同じ映画会社として、やはりお互いに今後も100年残る映画を作り続けていって欲しいと思います。
日活さんは日本最古の映画会社ですから、その日活が元気になってくれることが、日本映画ファンとしても一番大切なことだと考えています。木下惠介監督が「日本で最初のカラー映画監督」を名乗れるのと同じように、「日本最古の映画会社」というブランドは、この世で1社しか名乗れないものです。この強いブランドを是非活用して、後発の映画会社を牽引していく存在になっていただければと願っています。
-ありがとうございました。
木下惠介生誕100年記念サイト:http://www.shochiku.co.jp/kinoshita/index.html
[取材ご協力]
松竹株式会社 映像本部
映像ライツ部 国内ライセンス室 営業課 新垣弘隆 様
映像商品部 ビデオ事業室 マーケティング課
宣伝・販促グループ 宣伝プロデューサー 手島麻依子 様
映像商品部 ビデオ事業室 マーケティング課
調達・調整グループ 長谷部美子 様
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(2012年11月15日掲載)
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