『風 船』
大佛次郎といえば「鞍馬天狗」の原作者として知られる作家だが、昭和20年代後半には、人生のキャリアを積んできた初老の男の孤独を描いた小説を連作していた。毎日新聞連載の「風船」もその一つ。日本画壇で嘱望された画家出身の主人公が、戦後、実業家として功なり名を遂げるが、どこか空しさを感じている。息子の世代との相克。妻との確執。孤独な魂を持つ主人公の心情。当時、大きな話題となった大佛次郎の「風船」を、森雅之、三橋達也、新珠三千代、北原三枝、芦川いづみらのオールスターキャストで映画化した文藝風俗ドラマの傑作。
キャメラ会社を切り盛りし、成功者として何不自由ない日々を送っている主人公・村上春樹に森雅之。その息子で後継者候補の圭吉に三橋達也。物語はこの父子のそれぞれの生き方を主軸に展開する。圭助は戦争未亡人でバーに勤める久美子(新珠三千代)と怠惰な日々を送っている。しかし久美子の愛情をよそに、圭吉はシャンソン歌手・ミキ子(北原三枝)へと傾倒していく。揺れ動く人間関係と人の心。それを「風船」に見立てた大佛次郎ならではのドラマを脚色したのは、川島監督とチーフ助監督だった今村昌平。
世俗にまみれた圭吉と対照的な存在なのが、幼くして罹ってしまった病気の後遺症で障害を持つ、妹・珠子(芦川いづみ)の魂の清らかさ。無垢で純粋な珠子の存在は、本作に清涼感を与えている。日活映画のヒロインとして、数多くの映画でチャーミングな魅力をふりまいていく芦川のフィルムキャリアでも重要な作品となった。
森雅之のダンディズム。三橋達也のモダニズム。そして美しい女優たち。川島雄三の時にはシニカルな目線が、戦前派の実業家と戦後派の息子の相克を描いて行く。春樹がかつて京都で世話になった下宿の娘・るい子に左幸子。祇園のバーにつとめながら、弟と健気に生きるその姿に、春樹は何を感じるのか?
昭和31年の東京、京都の街並みを空気感そのままにとらえた高村倉太郎のキャメラ。タイプの違う四人のヒロイン、新珠三千代、北原三枝、芦川いづみ、左幸子が着ている衣裳を担当したのは森英恵。これまでも森英恵は数多くの日本映画の衣裳を手がけてきたが、クレジットは本作が初めて。彼女の貢献に対する川島監督の計らいだという。
佐藤利明(娯楽映画研究)