硫黄島
いおうとう

硫黄島の生き残りの一人の男の数奇な運命を通して、現代人が忘れ去らんとする戦争の罪の意識を描く異色戦争巨篇。菊村到の芥川賞受賞作の映画化。

戦後6年、人々の脳裏には生々しい戦争の悲惨な爪跡がまだ残っていた。東亜新聞社の社会部に勤める新米記者である私、武村均も、そんな一人であった。いつものように行きつけの飲屋“のんき” に顔を出した私は、一人の不思議な男を知った。片桐正俊と名乗るその男は「記事にして貰えませんか」と云って、凄惨極まる話を始めた。人肉の腐敗臭を放つ硫黄島で、全員玉砕という報せをよそに6人の日本兵が生死の境をさまよっていた。昼は米軍の探索を逃れて岩穴に、夜は食物を求めて山野に、“生きたい”という本能だけで生きていた。ある日、上官の命を受けて木谷と食糧を探しに出かけた片桐達を待っていたのは、火炎放射器で焼き殺された4人の同胞の無残な姿だった。数日後、彼らは米軍に投降したのだという。私は、片桐が別れ際に云った言葉が気になった。片桐は、その当時書いた日記を取りに、近々硫黄島に行くというのだ。私は富田デスクと相談の上、この記事を載せることにした矢先、「硫黄島には行けいそうもありません」と片桐から電話をうけたため、記事は流れた。それから数ヶ月後、片桐が硫黄島で死んだという他社のトップ記事に私は呆然とした。片桐の動向が解せない私は、片桐が本当に話したかったことを探る決心をした―。

日本
製作:日活 配給:日活
1959
1959/10/21
モノクロ/88分/シネマスコープ・サイズ/7巻/2408m
日活
【東京都】小笠原村(硫黄島)/大島町
【神奈川県】川崎市(工場街)