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創立100周年記念 「日活映画 100年の青春」 特集上映で浜田光夫さんが舞台挨拶
2012年09月09日(日曜日)

日本最古の映画会社として、9/10に創立100周年を迎える日活が、長年に渡り愛されてきた日活作品を選りすぐったラインナップでお届けする「日活映画 100年の青春」が9/8(土)に公開初日を迎え、翌9/9(日)に浜田光夫さんを迎えての舞台挨拶がヒューマントラストシネマ有楽町で行われました。

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浜田光夫さんと言えば、吉永小百合さんとの純愛路線で数多くのファンの支持を集め、日活在籍中の作品のうち、その半分は吉永さんとの共演作。今回の特集上映では、数ある出演作から『上を向いて歩こう』(1962年)、『キューポラのある街』(1962年)、『非行少女』(1963年)、『伊豆の踊子』(1963年)、『愛と死をみつめて』(1964年)が上映されます。この日の舞台挨拶は、『上を向いて歩こう』上映後に行われ、故・坂本九さんとの思い出から撮影秘話まで、なかなか聞くことのできない貴重なお話を聞かせて下さいました。進行は、映画評論家の轟夕起夫さんです。

浜田 浜田です。今日は、よろしくお願いします。

 本日は、日活映画ファンの代表としてお話をうかがいたいと思います。

浜田 皆さん、ご覧になりました?あれ、私ですよ(笑)。孫じゃないですよ(お客様爆笑)。あれは、いくつの頃だったかな?

 18歳です。そして坂本九さんが20歳。

浜田 九さんは2つ年上ですから、お元気ですと70歳ですよ!年の流れを感じますね。

 『上を向いて歩こう』は歌が大ヒットした翌年に公開され、『銀座の恋の物語』が同時上映作品だったんですよね。

浜田 当時は2本立てだったんですよね。

 『上を向いて歩こう』の思い出は色々ありますか?

浜田 当時の日活は、その時に曲が流行った人で映画を作るのが好きで、橋さん、舟木さん、西郷さんなどの映画もあり、この映画の九ちゃんもそうでした。『上を向いて歩こう』は、青春歌謡映画ですね。

 本作は、脱走のシーンから始まりますね。

浜田 脱走のシーンは、すごいでしょ?あれは当時流行った映画に『ウエスト・サイド物語』というのがあって、ケンカしている時にサイレンの音が鳴り、「みんな逃げろー!」ということで、3メートルくらいの壁をよじ登って手際よく逃げるシーンがあるんです。監督がそれをえらく気に入って、「あの映画を観ただろ?あれと同じように塀を乗り越えて、バーッと降りろ!」って言うんです。言うのは簡単だけど、やる方は大変なんですよ。だって向こうは踊りで鍛えている本職の人たちでしょ?それを俺たちに急にやれって言われてもね(笑)。それは大変でしたよ。

 監督は舛田利雄さんで、アクションが本当に上手な方ですから、そういうシーンに力が入ってしまうんでしょうね。

浜田 そうですね。

 浜田さんもやられていますが、あの身体能力はスゴイですよ!

浜田 あっはっはっは。18歳だからね。今やれって言われたらねぇ(笑)。

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 坂本九さんとの思い出も色々あるそうですね?

浜田 九ちゃんは2歳年上で、可愛がってもらいました。すごく忙しい方でしたが、ある日撮影が早く終わった時に「オイ、おもしろいところへ行こうよ」と言われたんです。新宿に三越というデパートがあって、道を挟んで向いに伊勢丹がありました。よくデパートの屋上にペットショップがありますが、三越の屋上のオウムに一所懸命「伊勢丹」って覚えさせてたんです!(お客様爆笑)。そういう茶目っ気のある人でした。当時、日劇ウェスタンカーニバルが人気で、ウェスタンジャケットが流行っていたんです。僕も「カッコイイな~」と思っていたら、九ちゃんがプレゼントしてくれてね。大事に持っていましたよ。

 ウェスタンカーニバルの話が出ましたが、『上を向いて歩こう』も、ロカビリーとジャズが融合していますよね。

浜田 そうですね。いわゆる歌謡曲とは、ちょっと違いますね。

 ドラムのシーンは本当にカッコイイですが、どれくらい練習しましたか?

浜田 ドラムなんてやったことないし、大変でしたよ!音はもちろん本職の人の音が出していて、それに合わせるわけですが、格好だけは馴れてうまくみせなきゃいけないですから、何を叩いているのか、どこでシンバルが鳴っているのかを全部覚えました。先輩の石原裕次郎さんが『嵐を呼ぶ男』で(ドラムを)やっていますが、あの方も大変だったんじゃないかなと思うほど、本当に苦労しました。

 浜田さんはジャズが好きな少年という役なので、アート・ブレイキーの「モーニン」をフッと口ずさんだりしていましたね。

浜田 当時、ジャズ喫茶が流行っていたんです。なので、台本にはなかったんですけど、ちょっと浮かれて歩いている時に♪トゥ、トゥ、トゥルルルル~ル♪とやったら雰囲気が出るんじゃないかなぁと思って、アドリブでやったんです。

 出てます!それから時代的な話をすると、まだオリンピックが開かれる前なんですよね?

浜田 そうですね。僕が18歳の時なので、その2年後が東京オリンピックの年でした。それに間に合わせるために作った競技場で、まだ使っていない出来たてホヤホヤを利用して全員で肩を組んで撮影した最後のシーンを非常に懐かしく思い出しますね。

 映画の最後の10分くらいの展開の早さは、まさに日活映画というか、舛田さんの・・・。

浜田 パターンですよね(笑)。

 豪腕ですよね。でも、それが映画的な快楽に繋がっていて、最後に坂本さんの歌が出ることによって納得しますもんね。

浜田 「上を向いて歩こう」は、去年の震災の応援歌にもなりましたね。

 時代を超えて、歌のメッセージと映画のメッセージが、これからも伝わっていくんじゃないかと思います。この映画には、姉妹篇があるんですよね?

浜田 『ひとりぼっちの二人だが』ですね。

 この映画も、機会があったらご覧いただければと思います。

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 ところで、浜田さんは本を出版されましたね。

浜田 先月「青春浜田光夫」という本を出しましたが、これは昔の回顧録ではなく“古きをたずねて新しきを知る”という感じで、我々団塊の世代の人たちが、これからどう生きるべきかということをちょっと書いてみたかったんです。

 本には日活の映画史も入っていますし、裕次郎さんとの交流なども書いてありますよね。

浜田 裕次郎さんにも大変可愛がっていただきました。当時裕次郎さんは成城に住んでいて、私は隣町にいたものですから「家が近いそうじゃないか。遊びに来いよ」と言われましてね。僕は裕次郎さんの映画は全部観ましたし、歌も全部覚えたくらい大ファンでしたから、渡りに船ということで、よく遊びに行ったものですよ。可愛がってもらいましたねぇ。

 浜田さんは、歌も出されていますよね。

浜田 当時は、裕次郎さんはじめ小林旭さん、赤木圭一郎さんなどがヒット曲を出したものですから、「主演をやるヤツはみんな歌え」ということになりましてね。ヘタでも何でもみんな歌いましたよ(笑)。昨日ちょうど「永遠の銀幕スター魅惑の歌声.」というのをテレビでやっていたんですよ。

ところで、映画の話に戻りますが、映画の中で高速道路の上の駐車場で待ち合わせるシーンがありますが、あれはちょうどこの(有楽町)上あたりなんですよね。高速道路が出来たばかりで、関係者用の駐車場で許可をもらって撮影しました。今でもそうだと思いますが、繁華街は撮影が許可されないんですよ。銀座あたりで撮影しようと思ったら、ビルの上から隠しカメラで撮影したり。それが大変だということで、当時の日活撮影所にはスペースがありましたから、撮影所の中に銀座オープンと言って、銀座にそっくりなセットを作ったんです。

 映画ではペンキをかけながら闘うのシーンもありますが、大変でしたよね?

浜田 いやぁ~、参りました!九ちゃんのスケジュールが忙しいものですから、どうしても撮ってしまわなくてはならないということで、夜中にまでおよびましてね。ペンキは1回かかっちゃうと「もう1回やらせてください!」というわけにいかないので、綿密な打ち合わせをして、間違えないように真剣にやった覚えがありますね。

 では、最後にもう一言お願いします。

浜田 日活は大正元年に創立して、ちょうど100年を迎えます。そして100周年のちょうど真ん中、50年前の4月に全国一斉封切になったのが「キューポラのある街」でした。そんな非常に歴史のある日活のこれからに、ぜひ期待していきたいと思っています。


◎◎今後のトークショースケジュールはコチラ◎◎

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9/8(土)ヒューマントラストシネマ有楽町他、全国順次ロードショー!

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