田中絹代監督 『月は上りぬ』 4Kデジタル復元版、 第74回 カンヌ国際映画祭 クラシック部門 (カンヌ・クラシックス) に選出! ニュースアーカイヴ

[映画]
田中絹代監督 『月は上りぬ』 4Kデジタル復元版、 第74回 カンヌ国際映画祭 クラシック部門 (カンヌ・クラシックス) に選出!
2021年06月25日(金曜日)

日活株式会社製作、1955年劇場公開の田中絹代監督作品『月は上りぬ』(つきはのぼりぬ)4Kデジタル復元版が、2021年7月6日(現地時間)から開催される第74回カンヌ国際映画祭のクラシック部門(カンヌ・クラシックス)に選出されました。

「カンヌ・クラシックス」はカンヌ国際映画祭の一部門で、復元された過去の名作映画や、映画に関するドキュメンタリーの上映を目的として、2004年に設立されました。日本映画はこれまでに『乱』(黒澤明監督)、『雨月物語』(溝口健二監督)、『楢山節考』(今村昌平監督)、『東京物語』(小津安二郎監督)など、名だたる巨匠の作品の復元版が選出されています。
     
同部門における日活作品の選出は今回が初めてで、カンヌ国際映画祭は「『月は上りぬ』には、我々の大好きな日本映画のクラシック作品のエッセンスが凝縮されています」と本作を讃えています。

『月は上りぬ』は、日本を代表する大女優、田中絹代さんが手掛けた6本の監督作品のうちの第2作。巨匠・小津安二郎監督と齋藤良輔氏の共同脚本を得て、晩秋の古都奈良を舞台に、三姉妹の恋模様を女性ならではの視点で流麗に描いています。田中さん自身も出演していますが、三姉妹の父を笠智衆さんが演じ、音楽を齋藤高順さんが手掛けるなど、小津組常連と言えるスタッフが田中監督の演出に彩りを添えています。

田中絹代さんは日本映画史上二人目の女性映画監督(一人目は坂根田鶴子さん)にして、女優として日本で初めて映画監督を務めた人物でもあります。今からおよそ70年前、女性が映画監督を務めること自体が極めて異例と言えた当時の日本で、女優業の傍ら映画監督の夢に挑戦し、日本における女性映画監督のパイオニアとなりました。今回の選出をきっかけに映画監督としての田中絹代さんにもスポットがあたることを願ってやみません。

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『月は上りぬ』演出中の田中絹代監督 ©日活


カンヌ国際映画祭より選出理由

『月は上りぬ』には、我々の大好きな日本映画のクラシック作品のエッセンスが凝縮されています。そして、画面からはこちらに訴えかけるものを感じました。人間の感情の機微や複雑さが、極めてシンプルな手法で、しかし独創的に、そして美しく繊細に包み込まれています。
このように力強い映画と出会いながら、新たな観客が本作を再発見する場を提供しないというのは、我々にとって考えられないことでした。カンヌ・クラシックスはこの珠玉の名作を披露するのに相応しい場だと思います。

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『月は上りぬ』試写にて。(前列左から)北原三枝さん、小津安二郎監督、田中絹代監督、成瀬巳喜男監督 ©日活


<作品情報>

巨匠・小津安二郎の名脚本のもと、大女優・田中絹代が演出する美しき恋の物語。
古都奈良に暮らす三姉妹の恋模様を、女性ならではの視点で流麗に描く。

戦争中に東京を離れて奈良に住み着いた浅井茂吉には、夫人は既にないが三人の娘がいる。夫に先立たれ実家に戻った長女の千鶴、未婚の次女の綾子、そしておてんばな三女の節子との四人暮らしだ。千鶴の亡夫の弟・昌二は失職中の身で、節子と交際している。彼らは時折集まっては謡曲を楽しむなど、和やかな毎日を送っている。そんなある日、昌二の旧友・雨宮が出張で訪ねて来る。節子は彼が綾子の少女時代をよく覚えているのを知り、昌二と協力して二人を結び付けようと奔走する。

監督:田中絹代 脚本:齋藤良輔 小津安二郎
出演:笠智衆 佐野周二 山根壽子 杉葉子 北原三枝 三島耕 安井昌二 田中絹代 増田順二 小田切みき 
製作・公開年・上映時間ほか:日活/1955年/102分/モノクロ


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『月は上りぬ』 ©日活


製作当時のプレス資料掲載の田中絹代監督コメント

私の第一回監督作品『恋文』につぐ、第二回作品ですから、『恋文』のときよりは、「監督は何をすべきか」ということが判って来たと思っていますので、必要以上に神経を使わないで済むような気持ちが致します。

自信というものは、何時になっても充分に持つことは出来ないでしょうが、映画は、僅かワンカットの狂いで、作品全体が崩れてしまわないとも限りませんから、私自身、ある程度の自信を失わずにやって行きたいと思っています。

女性である私達の眼で見た人間の観察というものが、監督に際しては、殊更に重要だと思います。例えば、山村聰さんの『黒い潮』のように、むき出しの人間の姿というものは、私には描き出せる自信はありませんが、溝口先生や、木下先生が、男性でありながら、如何にも女らしい女性を描いているように、女の眼から見た男性というものを私は描くことが出来ると思っています。

ですから、女が女性を描くよりも、女が男の気づいていない姿を描く方が比較的に容易ではないかと考えています。

今度の『月は上りぬ』でも、そういったところに重点をおいて監督して、皆様の御期待にそむかぬような作品にしたいと念願しています。


【田中絹代監督(1909年11月29日-1977年3月21日)】

山口県下関市生まれ。親戚に映画監督の小林正樹がいる。
1924年、野村芳亭監督『元禄女』でデビューし、同年清水宏監督『村の牧場』で初主演を飾る。1938年『愛染かつら』の記録的ヒットで国民的女優の地位を不動のものに。1949年に松竹を退社し、東宝、新東宝、大映、日活にも活躍の場を広げる。溝口健二、五所平之助、小津安二郎、成瀬巳喜男、木下惠介など名だたる巨匠らの元で活躍し、特に溝口監督とのコンビでは、主演した『西鶴一代女』がヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞、『雨月物語』も同映画祭で銀獅子賞を受賞するなど、国内外で高い評価を得た。

活躍は女優の枠に留まらず、監督業にも進出。成瀬巳喜男監督『あにいもうと』に参加し、映画監督としての手ほどきを受ける。1953年『恋文』(脚本:木下惠介)で日本映画史上二人目の女性映画監督としてデビュー、同作は第7回カンヌ国際映画祭長編コンペティション部門で上映。監督二作目『月は上りぬ』は小津安二郎監督が自身で監督をするつもりで書いた脚本を下敷きにしていることや、企画の溝口健二監督(当時の日本映画監督協会理事長)が田中の監督に反対したことなども話題に。生涯で6作品を監督し、1962年公開『お吟さま』が監督を務めた最後の作品。

晩年に出演した熊井啓監督『サンダカン八番娼館 望郷』ではベルリン国際映画祭最優秀女優賞を受賞するなど、生涯にわたり精力的に活動を続けた。日本映画界を黎明期から支え、250を超える作品へ出演した、日本映画史を代表する大女優の一人。


【フィルモグラフィ】

恋文(1953年)/月は上りぬ(1955年)/乳房よ永遠なれ(1955年)/流転の王妃(1960年)/女ばかりの夜(1961年)/お吟さま(1962年)


【4Kデジタル復元版について】

日活株式会社が所蔵する35㎜マスターポジを素材として、2021年にデジタル復元を行ったもの。
復元:日活株式会社、国際交流基金
デジタル修復:株式会社IMAGICAエンタテインメントメディアサービス


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