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哀悼 木村威夫学院長 訃報のお知らせ
2010年03月25日(木曜日)

日活芸術学院学院長であり、日本映画・テレビ美術監督協会顧問である映画美術監督・

木村威夫氏が、かねて病気療養中のところ2010年3月21日(日)午前5時45分、

間質性肺炎のため、東京都内の病院で永眠されました(享年91歳)。


生前のご厚誼に深謝し、謹んでご木村学院長のご冥福をお祈りいたします。

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2010年3月10日(水)に行われました第34回日活芸術学院卒業式。
木村学院長は入院中のためやむなく欠席されました。
その際に木村学院長からいただきました卒業生たちへのメッセージを再録させていただきます。

<木村学院長のメッセージ>

卒業式はギリギリに会場に行くのではなく、出来るだけ早目に行きたい。

卒業式に出たい。なんとしても出たいのだ。

日活はいい会社だ。私はいろいろな撮影所で仕事をしてみたが、

日活はいい会社だ。いい人材がたくさんいる。今は厳しい時を迎えているが、

いい会社だし、いい作品をたくさん作ってきた。私はそれを大勢の人に伝えたいのだ。

日活芸術学院はいい学校だ。卒業生にはつまらない学校にいたと思ってほしくない。

本当にいい学校にいたのだという想いを持って欲しい。

そのことを伝えるために私は卒業式に出たいのだ。

人生はいろいろなことが起こる。でも乗り越えなくてはいけない。

私は乗り越えていきたいと思う。

私は卒業生に話したい。みんなに新しい話題を提供したい。しかし気持ちがそうであっても、

身体が受け付けない。

下痢が続いている。でも下痢だっていい。そんな姿や生き様を見せるのもアートだ。

先生と生徒との関係、木村威夫はこういう人間だったのかということを伝えるのもアートだ。

映画は単に面白い世界だけではない。アートだ。

前へ前へと進みたい。


 
木村学院長の「アートだ」、「アートだ」という言葉が、
聞いているわたしたちには、「ハートだ」とも聞こえてきました。


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木村 威夫学院長 経歴

映画美術監督、(協)日本映画・テレビ美術監督協会顧問
日活芸術学院 学院長
日本映画ペンクラブ会員、日本映像協議会JVA大賞審査委員長

 1918年4月1日生まれ。青山学院中学部卒。1935年舞台美術家、伊藤憙朔先生に師事。
1941年日活多摩川撮影所に入社。その後大映に移り、戦後は新生日活、独立プロで活躍。  
1973年フリーとなる。
「海の呼ぶ声」(1944)「雁」(1953)「或る女」(1954)「けんかえれじい」(1966)「ツィゴイネルワイゼン」(1980)など約240本を担当。その間、「悪太郎」(1963)から「カポネ大いに泣く」(1985)まで鈴木清順監督とのコンビで魅力的な様式映像を創造。1960年ヨーロッパ各国映画・TV見学を成した。    
熊井啓監督とは「千利休・本覚坊遺文」(1989)「深い河」(1995)「愛する」(1997)「日本の黒い夏‐冤罪‐」(2000)「海は見ていた」(2002)、黒木和雄監督とは「祭りの準備」(1974)「父と暮せば」(2004)「紙屋悦子の青春」(2006)などがある。また、鈴木清順監督とは「ピストルオペラ」(2001)「オペレッタ狸御殿」(2005)でコンビ復活が実現し話題となる。
また林海象監督「夢みるように眠りたい」(1986)、伊丹十三監督「タンポポ」(1985)、根岸吉太郎監督「ウホッホ探検隊」(1986)、実相寺昭雄監督「帝都物語」(1988)篠田正浩監督「少年時代」(1990)、柳町光男監督「愛について・東京」(1993)、坂東玉三郎監督「夢の女」(1993)、原一男監督「全身小説家」(1994)、奥田瑛二監督「るにん」(2006)、桃井かおり監督「無花果の顔」(2006)、井口奈己監督「人のセックスを笑うな」(2008)など様々な監督と組み、幅広く活躍している。
2004年に短編映画「夢幻彷徨」で映画監督デビュー、以後「街」(2004)、「OLD SALMON 海を見つめて過ぎた時間」(2006)「馬頭琴夜想曲」(2007)を発表、2008年初の長編作品「夢のまにまに」を監督、2009年秋には長編第2作「黄金花―秘すれば花、死すれば蝶―」公開。
 
1990年、ニューヨークのジャパン・ソサエティーで「木村威夫映画美術フェスティバル」が開かれた。1992年11月には、勲四等旭日小綬章を授与される。
また、2002年12月~2003年1月には川崎市民ミュージアムにて「映画美術監督木村威夫の世界-夢幻礼賛-」が開催された。
2008年「夢のまにまに」にて世界最高齢長編映画監督デビュー”The oldest debut as a feature film director”としてギネス・ワールド・レコードに認定された。
毎日映画コンクール美術賞、広告電通賞、映画評論美術賞、日本アカデミー賞最優秀賞、第15回山路ふみ子賞文化賞、日本映画ペンクラブ功労賞、日本映画批評家大賞特別賞、第48回毎日芸術賞特別賞など多数受賞。
他に文学活動として「同人誌ストイケイオン」「三田文学」に作品発表。
1945年から、調布市上石原に60年余り在住。

 【著 者】
「わが本籍は映画館」(春秋社刊)
「彷徨の映画美術」(トレヴィル社発行・リブロポート社発売)
「シネアストは語る・木村威夫」(名古屋・風琳堂)
「木村威夫映画美術60年」(ワイズ出版刊)
「白姫抄」(文・木村威夫、画・佐谷晃能/ワイズ出版刊)
「月下茫茫狐之図」(ワイズ出版刊)
「木村威夫の世界 図録」(川崎市民ミュージアム)
「映画美術 擬景・借景・嘘百景」(ワイズ出版刊)
「裏話 映画人生90年」(岩波書店)
【木村威夫監督作品】
◆短編映画
 「夢幻彷徨(むげんさすらい)」(2004)45分
 「 街 」(2004)        10分
 「OLD SALMON 海を見つめて過ぎた時間」(2006)29分
「馬頭琴夜想曲」(2007)     50分
◆長編劇映画
 「夢のまにまに」(2008)     105分
 「黄金花―秘すれば花、死すれば蝶―」(2009) 79分

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