古式「精霊船」の再現
映画のクライマックスに登場する古式の「精霊船」は、およそ1ヶ月間に亘ってボランティアの人々により製作された。本体と装飾品を2ヶ所に分け、色塗り、竹の加工、木工、堤燈作りなどが行われた。船は、長さ10メートルを超す大きさとなり、撮影現場には、3台のクレーン付きトラックで搬入、組み立てを行った。
この「精霊船」を使った《精霊流し》の場面の撮影では、長崎市民と警察の協力を得、その数は1,500人を越す大掛かりなものとなった。一番大変だったのは1,000キログラムを越す重い精霊船を担ぐ俳優、エキストラの人たちだったのは言うまでもない。このような大きさの船は現在では作られることはなくなり、当時を再現した貴重な精霊船と言える。
 
東京・鎌倉も長崎で
東京、鎌倉周辺をロケハンした末、昭和40年代の面影を残す場所がないと判断した田中監督はそれを長崎に再現することを決意。北鎌倉駅は東彼杵(ひがしそのぎ)駅に、湘南海岸は宮摺(みやずり)町の海岸に、そして鎌倉の神社は岩屋神社に置き換えられ、当時の鎌倉が長崎に見事に再現された。
 
実在したジャズバー《椎の実》
ジャズバー《椎の実》は、さだまさしの叔母・節子さんが経営していた実在したお店だ。オランダ坂とは違う場所にあったのだが、地元の人たちは、「昔のままだ。懐かしい」と口々にしていた。昭和40年代《椎の実》は長崎において流行の最先端のお店だった。「叔母は、元気で明るく粋な人だった」と、さだは回想するが、それを裏付けるかのようだ。
 
悪天候との闘い
撮影は2003年2月下旬から3月いっぱいまで行われたが、一番の敵は寒さと雨だった。この季節としては異常だと、地元の人は口を揃える。
天気予報はまるで当てにならない。どんよりした雲 りの毎日。そこへ追い討ちをかけるような突然のスコール。海岸や《精霊流し》のシーンは夏の設定のため、俳優や水着姿と浴衣姿のエキストラの人たちは、その寒さに震え上がった。スタッフは防寒具に染み込む雨と寒さを耐え、瞬く間に冷たくなる弁当を毎日食べて撮影を続けた。
 
一面の薔薇
クライマックス近くに、元は1本だった薔薇が雅彦の生家を覆い尽くすまで咲き誇る感動のシーンがある。
装飾部が数日前から準備を開始し、撮影当日の早朝、スタッフ・キャストが現場に着くと、珍しく晴れた朝日を浴びて、庭に1,000本の真っ赤な薔薇が咲き乱れていた。見事な美しさに一同しばし見惚れてしまい、撮影の開始時間が大幅に押してしまった。しかし、この感動がその後に撮られた父が雅彦に真実を告げるシーンを一層盛り上げることとなった。