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―平山監督にお聞きしたいのですが、ものすごく手ごわい原作だったとおっしゃっていましたが、監督は「レディ・ジョーカー」をどのように描いていきたいと思って、制作に取り組まれたのでしょうか。 |
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平山: 去年、クランクインする前に、一度大阪に行き、高村さんにお会いしました。 |
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そのときは「レディ・ジョーカー」を演出する事で、最初に読んだときの感想をそのまま、高村さんにぶつけたんですね。 |
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その時の事を言えば、社会的に虐げられた人間達が、ある社会に対して復讐する話だろうと、単純に捉えていたんです。 |
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そのことを高村さんにぶつけると、いや、そういう話のエピソードは映画の中の一つの要素ではあるけれど、それだけではない、というふうな答えが返ってきました。例えて言えば、一生懸命投げたボールが、違う方向に行って、違う壁に行って返ってきたような印象があったんですね。 |
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そのときに高村さんが言われたのが、これは一つのシステムの話である。虐げられた人たちを含めて、もしくは気がつかずに虐げた人たちを含めて、またあるときは組織であるとか、そういった部分の中で、原作では昭和22年から現代までという長い昭和と平成の時代があるんですけども、そういうシステムの中で、どう人間たちが右往左往して、またある人たちは誘拐にいくし、ある人たちはそれを解決しようと努力するし、また裏切られたりという風な、ある種の大河ドラマのような感じがするのですが、そういう風な印象を持って大阪から帰ってきました。 |
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その膨大な情報量を含めて、上下巻二段組でやるという風に、それをある時間の中でまとめるというのは、それはもうその中でやるという取り決めがあるのでしょうがないのですが、撮影し終わったあと、ひょっとするとこれは四時間半の「レディ・ジョーカー」があってもよかったのかなという思いを、正直今持っています。 |
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でも、それは、それこそ映画を作るというシステムの中で、プロ同士がどういう風に闘って、どういう風に組み上げていくかというのは、そこにひとつの映画作りの醍醐味というかエネルギーがおかれていると思っていますので、そういう風に思わせるほど、なかなか手ごわい原作だったという事です。 |