ぼくどうして涙がでるの
ぼくどうしてなみだがでるの

伊藤紀子の闘病日誌を兄・伊藤文学がまとめた同名小説の映画化。心臓病と闘う青春のやりきれぬ乙女心、少年との心の触れ合いを描いた珠玉の感動作。

現在日本では、心臓病は癌に次ぐ死亡率を示している。ここ十数年心臓外科は著しい進歩を遂げ、手術によって回復の途が開かれるようになったが、世界一の近代設備と技術をそなえた東京女子医大心臓血圧研究所も、ベット不足により常時三千人の患者が入院を心待ちしている。伊藤紀子(23)も、その一人だ。昨年のクリスマス、恋人の川口と過ごしているときに初めて発作を起こした。検査結果は“僧帽弁閉鎖不全”で、放置すれば二年以上は命の保証が出来ず、手術の成功率は現段階では50%だという。“五分五分”という医師の言葉が、紀子と兄の文雄(26)の耳にいつまでも反響した。半年たっても入院できず、八月に入ったある日、入院通知書が来た。恋人の川口が心の支えだった紀子が入院を知らせるため彼の下宿に行くと、二人の幸せを考えた川口は転勤を決心していた。ショックをうけたまま紀子は入院した。三号館四〇一号室、この六人部屋が新しい住居だ、静かに闘病している先輩たちとは反対に、紀子は心も態度も日増しに捨てばちになっていった。そんなある日、検査帰りに廊下で息苦しくなった紀子は「お姉ちゃん大丈夫?」と小さな神士に声をかけられた。少年は紀子が心臓病だと見抜いていた。心臓病患者は胸をおさえてしゃがみ込むからだ。その子のシャツも、胸のところが手あかで汚れていた。その少年、木村芳宏(6)は“ファロー四徴症"という先天的な心臓障害を背負っていて、手術は難しく、成功例はあまりない重症患者だった。それなのに彼は底抜けに明るく、彼の無邪気さや人懐っこさは、 ふさぎがちな部屋の空気を一掃した。 9月、紀子の手術の日がやってきた…。

日本
製作:日活 配給:日活
1965
1965/10/30
モノクロ/89分/シネマスコープ・サイズ/8巻/2442m
日活
【東京都】新宿区(新宿の街の通り、東京女子医大付属日本心臓血圧研究所)/千代田区(神田書店街)/港区(神宮球場、外苑の道)
【神奈川県】鎌倉市(鎌倉海岸)/平塚市(虹ヶ浜海岸)