出撃
しゅつげき

特攻隊の出撃を送る報道部員の眼を通して、若い隊員の愛と死の苦悩とその妻の慟哭を描く。

大平洋戦争も終わりに近い昭和二十年五月、アメリカが遂に沖縄に上陸し、日本は決死の特別攻撃隊を主力とする総反撃を開始した。第七次特攻隊が出撃した日の午後、川道少尉は九州南端にある特攻隊出撃基地・知覧に到着した。第八次特攻隊として編成された特攻隊員たちは、死が目前に迫っているにもかかわらず明るく陽気だった。なかでも少年飛行兵出身の桐原軍曹は人気者で、勤労動員の女学生・有村から贈られた鈴を大事そうに胸にさげていた。川道少尉の若妻・一枝が知覧にきたことを知った隊長の大木少尉は、川道に外出許可を出した。川道は、結婚直後に特攻隊員になったのだ。そのころ、仲の良い桐原軍曹と井谷軍曹は、死後のことを語り合っていた。「今度生まれてくるときはホタルになりたい」という桐原に、井谷も同意した。翌日、出撃命令がくだった。一枝や女学生・有村たちが見送る中、特攻隊員たちは大空に舞い上がっていった。だが、まもなく川道機と桐原機は機の故障で帰ってきた。号泣する桐原に、川道は「特攻隊とは犬死することじゃない。当然のことをしたんだ」と、自分に言いきかせるように言った。その日のうちに集まった第九次特攻隊員たちも陽気だったが、榊少尉と志貴少尉だけは特攻隊への疑問や上層部に対する不信をぶちまけた。出撃前夜、食堂にホタルが一匹迷い込んだ。桐原は「井谷だ!」と言い、号泣した。翌朝、特攻隊は飛び立った。だが、川道機はまた帰ってきた。エンジンの故障だった。無念の川道は、町にまだ一枝がいると聞き、東京へ帰るよう強く頼んだ。自分の帰還が未練からだと思われる怖れがあったからだ。やがて川道は、第十次特攻隊員として出撃したが…。

日本
製作:日活 配給:日活
1963
1964/4/4
モノクロ/101分/シネマスコープ・サイズ/9巻/2746m
日活
【神奈川県】藤沢市(藤沢飛行場)
【静岡県】自衛隊静浜基地