俺は地獄の部隊長
おれはじごくのぶたいちょう

敗戦近くの北支戦線を背景に、孤立した守備隊の隊長を中心にした型破りの奮戦記。

敗戦間近の昭和二十年。北支の安平城に本部をもつ日本の歩兵大隊は、八路軍の猛攻にたじたじとなっていた。三つの砦のうち二つが全滅し、第三砦の桂木少尉が援軍を求め馬を飛ばして来た時は、砦を見捨てた本隊が転進の準備をしていた。通称ロビンフッドと呼ばれ、勇敢で頭の切れる男として八路軍にもその名が響きわたっていた桂木の必死の要請で、援助物資満載の馬車が仕立てられた。全滅したはずの砦から逃げのびて来た、通称六区のケン、河内山、一本刀、椿姫、ドモ政の五名の兵士たちを輸送係に一行は砦に向かった。途中何度も八路軍と出くわしたが、桂木の機知で難を逃れた。だが再度の敵襲に弾丸を射ち尽くした一行の危機を救ったのは、敵意に満ちたまざしで桂木を見送った本隊の赤鬼・佐々木少尉だった。一行はやっとの思いで第三砦にたどりついたが、第三砦は桂木が出た直後に砲撃を喰い、通称忍びの源と飯塚守備隊長を残し全滅。隊長はショックで発狂してしまっていた。一行は、残り少ない食糧と弾薬の点険をしたが、三日ともつものではなかった。翌朝、全員を叩き起こした赤鬼・佐々木は、忍びの源ら六人を偵察に出すと砦の裏手に桂木を呼びつけ「弟をよくも射殺したな!」と、銃を構えながら怒鳴った。半年前、桂木の部下だった赤鬼の弟はゲリラ隊に武器の横流しをしていた。現場をみつけられた弟が桂木に発砲したので、止むなく逃げる弟を射殺したのだ。だが、軍が事件を内密に葬った上、赤鬼は一人の目撃者から正反対の話を聞いていたため、桂木の言葉に耳を貸そうとしなかった。二人の決斗は八路軍の銃声で中断された。偵察にいった四人が駈け込んできて、忍びの源と一本刀が捕まってしまったという…。
日本
製作:日活 配給:日活
1963
1963/4/28
モノクロ/93分/シネマスコープ・サイズ/8巻/2538m
日活
【神奈川県】川崎市(宮前区有馬、高津区溝の口)
【静岡県】御殿場市