サンフランシスコから横浜へ向かう貨客船ミランダ号に一人の日本人が乗船していた。彼は航海中、他の外国人の注目を浴びていた。というのは彼の神業にも等しいダイスやカードの手捌きによるものだ。この不気味なまでに冴えた腕を持つ日本人を乗せてミランダ号は横浜に入港した。この日本人の名は宮本慧。横浜に出迎えた人々の中に、川崎淳平の家族と倉橋興業の倉橋正雄がいた。慧は倉橋興業の社員としてアメリカ出張を命ぜられていたのだ。少なくとも川崎家の者はそう信じていた。淳平の一人娘節子も、美しい顔を紅潮させて慧を迎えに来ていた。慧には洋次という弟がいた。慧と洋次はたった二人きりの兄弟だった。二人の父親が株で失敗し自殺を遂げてから、幼かった二人は遠縁の川崎家に引き取られて育ったのだ。そしていまでは淳平も慧と節子の結婚を夢見ていた。川崎家の歓迎会も早々に脱け出した慧は、倉橋興業の経営するホテル「クラブリッジ」の奥まった部屋に入って行った。そこでは、ダイスとカードによる大賭博場が開かれていた…。