泉鏡花畢生の名作「高野聖」の映画化。絢爛たる色彩とスコープの画面一杯に繰りひろげられる美女と若き旅僧の妖恋を描く。
高野山は弘法大師の開山以来、仏教の聖地として女人禁制であったが、明治5年この禁が解かれることになり、これにはほとんどの僧侶が反対した。そんな時、高野聖と仰がれる宗朝老師が「自分はこの問題に口を出す資格がない」と一世一代の懺悔話を始めた…。ここはひぐらしのしんしんと鳴く信濃路の緑深い街道。24歳の若い宗朝は飛騨の高山から善光寺に向うべく山道を登っていたが、ふと女の悲鳴を聞いた。駆けつけると薬売りが土地の娘に襲い掛かっている。宗朝の出現に薬売りが驚いたその隙に娘は逃げ出した。娘に逃げられた薬売りは宗朝に食って掛かるが宗朝は相手にせず歩き出した。旧道と新道の分かれ道で薬売りは旧道へ、宗朝は新道に行ったが、程なく土地の農夫から旧道が危険なことを聞き、薬売りを助けるべく旧道へと駆け戻る。だが旧道は狭く険しく、行けども行けども薬売りに逢うことはできなかった。しかも雫のように落ちてくる無数の蛭に取りつかれ、半死半生になった宗朝はやっと人家を見出すのだった。その家には女と男が二人だけで住んでいた。女は外の月光に濡れてゾッとする程妖しく美しい女。男は知的障害のある小男だった。宗朝が一夜の宿を乞うと、女は岩風呂に案内し、自分も全裸になって沐浴するのだった。その夜は牛のいる納屋に泊まったがそこには薬売りの荷物が置いてあった。女の魔性で薬売りは牛にされていたのである。何も知らぬ宗朝は煩悩を断ち切るべく一度は抜け出すが、女の妖気が絡みついて振り切ることができなくなっていた…。