最後の突撃
さいごのとつげき

ラパウル決戦に運命を賭け、自ら防波堤となって命を散らした悽愴苛烈な日本軍の最後の姿を人気男性スター総出演でリアルに描く本格的戦争迫力篇。

昭和十九年十月、ラバウル決戦の重要拠点ズンゲンに成瀬少佐を長とする成瀬大隊が、玉砕を前提とした任務を背負って派遣された。 昭和二十年三月、予期した通り敵はズンゲン上陸作戦を開始。 やがて守備隊長から「全員斬込ミ敢行ス」と、最後の電報が入った。ズンゲン守備隊玉砕の報は司令部に深い感銘を与えたが、参謀の一人松下少佐は玉砕の実相が如何なるものか疑念に襲われた。重傷を負い敵手に落ちた兵、隊とはぐれた兵もいるではないか...。そう思うと、じっとしていられない気持だった。 折も折、ヤンマー警備隊から「生存将兵がヤンマーに到着しつつある」との機密電報が届いた。司令部より「任務遂行」の電報が発信されたが、「前進の模様なし」 との返信に、藤川参謀は「ラパウル全軍の面汚しだ!」と憤激した。松下参謀は現地行きを志願。戸田中尉と、さらにヤンマーから報告に戻ったズンゲン隊所属の下山軍医も一緒に行く予定だったが、直前に下山軍医は自決した。無謀な玉砕に憤満をぶちまける下山の声が、松下参謀の耳にいつまでも残った。危険なジャンクルを通過しヤンマーに到着した松下参謀は、直ちに生存の将校八名から現況を聴取した。生存下士官兵九十三名、負傷者三十一名。松下参謀の眼は深い慈愛に満ちていた。はじめは不安と恐怖にかられていた将兵たちも、次第に松下参謀に親近感を抱いた。再び戦いへの情熱と力を与えることが急務だが、それが如何に困難であるかを松下参謀は感じていた。無謀な玉砕に反対し自決した林中尉の壮烈な話、寺本少尉や花井中尉らの報告は、どれを聞いても悲壮にあふれた戦記であった。それでも八人の中六人の将校に、新たな決意と自覚を与えることに成功した。だが秋山中尉と馬場少尉は、今後への答えを得なかった。ある夜、「自決して詫びる」と申し出る二人に、松下参謀は「その前に私の小屋に来てくれ」と伝え、一睡もせず夜を過ごしたが、二人が手榴弾を持ち海岸に出たと開き、顔色を変えた…。

日本
製作:日活 配給:日活
1956
1957/1/22
モノクロ/86分/スタンダード・サイズ/9巻/2208m
日活
【東京都】大島町(波浮港、御神火茶屋付近、砂の浜海岸)
【神奈川県】真鶴町(三ツ石の森=ラストシーンなど)
※葉山良二の自決シーンは撮影所に作ったジャングルのセット。