力道山物語 怒涛の男
りきどうざんものがたりどとうのおとこ

全世界プロレス界の人気者、われ等のリキ(力道山)が自ら演ずる、熱血波瀾の半生記。スポーツ映画の決定版。

ここは青い海の見える九州大村市。子供達の野球のボールが農家の風呂場の窓ガラスをつきやぶった。作造爺のどなり声に恐れることなく「俺だよ」と答えた正義感の強い少年は、後に力道山と言われる百田光浩だった。彼は不良中学生と喧嘩することを常に母に叱られていたが、作造爺は不良中学生5人相手に飛び掛かる闘志に感極まり、角力取りになることを母兄弟にすすめ、自分の息子である小結・大村潟にあずける約束をしたが、当の光浩は野球への気持の方が強かった。5年の月日が流れた冬の夜明け、両国の街をよれよれの浴衣にざんぎり頭で歩くのは、故郷の人々に送られて角力生活に入った16才の光浩の姿だった。勝負の世界の生活は厳しく、半年経っても稽古はつけてもらえず、兄弟子達の調理、薪割り等の下仕事に追われていた。飯にありつけなかった夜や親方に無理を言われた夜も、仲間と励まし合った。そんなある日、信玄袋を背負った母親が上京して来た。母は息子に腹一杯ゆで卵を食べさせたが、2つ3つ残してしまった力道山は、彼らしい同情心から残りの卵を何か考え込んでいる男に与えた。これが彼の運命の一つの鍵であることを、当の男も力道山も知らなかった。母は暴れん坊の光浩少年を角力取りにしたことを悔いて、故郷へ帰るよう諭したが、彼はやり抜くことを母に誓い、母が持って来てくれた手製の下駄をお守りに稽古に励んだ。母の危篤にも死にも故郷に戻らぬ不屈の闘志と意地が、彼を十両まで育てあげていったが…。

日本
製作:日活 配給:日活
1955
1955/12/27
モノクロ/84分/スタンダード・サイズ/9巻/2302m
日活
【東京都】墨田区(両国あたり、両国橋)/台東区(隅田公園、隅田川畔の道)/中央区(浜町河岸)/大田区(羽田空港)
【神奈川県】横浜市(横浜の街通り)