幕末の文久元年、肥後細川藩の若侍・河上彦斎は年の頃22,3歳、女かと見違えるほどぬ初々しい若衆姿だが、ひとたび剣を持てば目にも止まらぬ早業で白刃を引き抜く居合抜きの達人であった。その頃京の町では佐幕派と勤王派が入り乱れて風雲急な慌ただしい空気に満ちていたが、細川藩でも討幕か佐幕かと議論が対立している状態であった。かねてから勤王討幕の運動に挺身したいという強い希望に燃えていた彦斎は、若殿様の随行で上洛した折、細川藩の家老・井垣内記を一刀の許に斬り捨ててしまった。こうして刺客となった彦斎は、許嫁の昌子と母親一人残して細川藩を脱藩し勤王志士に加わった。