※1954年8月31日改訂新版「戦争と将軍」として公開。巻頭に戦後の引揚げ風景実写を挿入/現存90分
昭和十六年夏。山西の山岳地帯に蟠踞する中央軍二十万を掃滅し、一挙に黄河の線を確保し、黄河以北には敵一兵も残さずと云う作戦のもとに第三軍は軍を進め、土岐原兵団は右安藤兵団と協力して戦闘司令所を進め、既に半月。矢垣参謀(作戦主任)は、機上偵察の結果、主力を左翼に移すべきであると作戦変更をとなえ、杉参謀(後方主任)は 後方糧秣補給の情況からこれに反対し激論となるが、結局兵団長は矢垣の意見を採択する。 X日は決定し、軍司令官や兵団長の訓辞の言葉の通り、兵は不眠不休、山また山を越えて遂にに大包囲陣を完成するが、その時右翼有田部隊は最も有力なる敵の主力に正面しながら、弾薬の補給が間に合わず、折角敵二十万を袋の鼠と囲みながら、その一角を破られんとする時、戦闘司令所も残敵に包囲されて、兵団長閣下の身近も危なくなる…。