紺屋高尾
こうやたかお
篠田実の十八番を、本人の口演入りで志波西果が監督した浪曲トーキー。
紺屋の職人久造は、ある日吉原の花魁道中を見物中、高尾太夫の道中を見て一度自分も遊びたいとの気持ちになるが、他の職人等より大名道具では手が出ないと云われ高雄太夫の事が思い切れず遂に病気となり女中お銀の介抱も何等の効果がない。主人六兵衛は他の職人より久造の病気の原因を知り、詳しく久造より聞けば大名道具とは高尾太夫の事に驚くも金さえあればと六兵衛夫婦は久造を励ますといかほどの金が入用かと久造に問われ少なくも15両の金子がなくばとの事で久造は落胆するのを、六兵衛夫婦が3年懸命に働けばその金子は出来るといわれ、それからの久造の働き振りは他の者も驚くくらいであった。3年の歳月も過ぎ、久造は六兵衛に高尾太夫の事を話し出し案内人を医者竹庵に依頼し久造を大家の若旦那という振込にて高尾太夫の所へ行く。一方高尾太夫の所へ度々通う津田堂五進は高尾太夫が顔さえ出さぬのに立腹し家中の者高尾太夫に顔だけでもと云うを高尾太夫は聞き入れずに久造の部屋に来る。久造は高尾太夫より次回は何日お越しになるとの言葉に実は紺屋の職人にて3年先になったら来ると今までの事情を話した。高尾太夫はその純情さに心から久造を愛し来年三月には年期が明ける故その時は必ずお主の側へ行くと約束して金子30両を久造に渡して別れる。帰途久造は竹庵にそれとなく話すと竹庵は久造が気が狂ったと思い六兵衛夫婦に話す。久造は今まで以上に働く。高尾太夫は年期も明けて六兵衛宅に久造を訪れる。久造は夢かとばかり驚く。六兵衛夫婦始め一同よりの喜びを受けて今は高尾太夫も久造の女房となり共に懸命に働き幸福な家庭を作るのであった。
日本 製作:日活=太秦発声
日活
1935
1935/4/11
モノクロ/61分/スタンダード・サイズ/7巻/1676m
<ご注意>
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