vol.31 追悼・江崎実生(前篇)
2026.03.31(火曜日)

コラム「フォーカス」へ、ようこそ!当コラムでは、日活作品や当社が関連する事業などに"焦点(フォーカス)を当て" 様々な切り口でその魅力をお伝えします。

映画監督の江崎実生さんが2025年2月1日に亡くなられてから一年が経ちました。日活公式YouTubeチャンネル「日活フィルム・アーカイブ」では今年2月から「追悼・江崎実生特集」を実施し、監督デビュー作の『花嫁は十五才』などを期間限定で無料配信しています。

江崎監督のフィルモグラフィを眺めると、才気走った初期作品から、中期のムードアクション、そして日活後期のコミカルでお色気でアナーキーな作品群まで、その作風は縦横無尽に変遷し、捉えどころがありません。江崎実生とは一体、どんな監督だったのでしょうか、映画評論家の轟夕起夫さんに考察していただきました。前後篇の2回にわたってお届けします。

追悼・江崎実生(前篇)

文:轟夕起夫(映画評論家)

1960年代の日活映画を支えた江崎実生監督を、遅ればせながら追悼する。

まずは23歳の、若き日のこんな逸話から始めようか。熊本大学を卒業するや上京し、1954年、助監督を公募していた日活撮影所に採用される。が、なぜか彼ひとりだけ所長に入社初日、こう言われたのだそう。「お前、俳優部に行け」と。懇願して演出部に残ったが、なかなかの容姿だったのだろう。
 


江崎実生監督 演出風景(『マカオの竜』撮影時のスナップ) ©日活

その風貌を拝むことの出来る作品がある。時制を一気に飛ばすが日活最後の監督作、三波伸介が主演した映画『喜劇 男の顔は人生よ』(71)。終盤に1カット、カメオだけどもセリフのある、疑惑の大地主に詰問する記者の役で登場するのだ。さらにはテレビドラマ『プレイガール』(69〜74)にも。日活を退社したのち、監督や脚本担当として1972年から2年間参加した中で、レギュラーのひし美ゆり子主役回、第235話『裸女よパリを見て死ね!』(73)は監督と出演を兼ねている。それも、キャストクレジットの締めに「江田実」という役名と共に「江崎実生」と、しかとテロップが出されるのであった。

東京では内偵中のプレイガールたちに「割とイカしてるじゃない」なんて評され、颯爽とフランスはパリロケのために旅立つCMディレクター・江田実。それは表向きの顔であり、マフィアへの復讐を企てるポーランド女性を恋人に持ち、合流場所の“ブローニュの森”へ。だが二人は、射殺されてしまう。脚本は名コンビの山崎巌が書き、同じく日活仲間・藤竜也も客演したこの回の仰天の裏話は『万華鏡の女 女優ひし美ゆり子』(ちくま文庫)で触れられている。なぜ自作自演に至ったのか+早撮りで有名な、手際のいい江崎演出の一端を明かすと――別々の仕事で渡仏した際、双方がオフの日に落ち合い、アタッシュケースを手にした男と、追う彼女の姿をとりあえずパリ市街で撮影しておいて後日、山崎巌に見せて「これで何か考えてくれ」と無茶ぶり的に依頼をしたのだ(当然、完成シナリオに沿ってパリでの追加撮影も)。江崎ワークス、恐るべし。



江崎監督(左)、夏純子、三波伸介、内田良平(『喜劇 男の顔は人生よ』撮影時のスナップ) ©日活

さて助監督時代の江崎実生は、古川卓己(のちに古川卓巳)に始まって、堀池清、吉村廉、市川崑、井上梅次、舛田利雄らに就いた。たとえば、舛田組での石原裕次郎映画、『天と地を駈ける男』(59)、『零戦黒雲一家』『花と竜』(62)、『太陽への脱出』(63)などでの働きぶりを、後輩の小澤啓一は宜なるかな、「素晴らしい段取り屋」と証言。また、脚本にも才を発揮し、舛田組においては下書きから深く関わっていたとも述べており、『今日に生きる』『男が爆発する』(59/山崎巌と共同)ほかで正式クレジットされている。

では監督作は? 1963年、大蔵省銀行局の企画で30分の短編PR映画『太陽は明日もまた』を最初に手がけた。歌手でもある田代みどり主演で、田舎の中学校卒業後、東京にて就職した少年少女の群像劇。翌1964年には藤原審爾原作の『花嫁は十五才』で長編監督デビューへ。あてがわれた脚本が酷くて気乗りせず、助監督生活のときに『狼の王子』(63/監:舛田利雄)で出会った田村孟、森川英太朗と組んで書き直した。17歳の家出少年(山内賢)と不幸な境遇の15歳の少女(和泉雅子)が互いの孤独を埋め合うように結婚を決意し、“社会の壁”に体当たりしてゆく。技巧的にして情感を湛えた画作りが際立ち、とりわけ、仮祝言を挙げた二人の絶頂感を続く遊園地での戯れ(回るコーヒーカップの遊具!)で表現してみせたあと、今度は絶望の淵を休園日の動かない遊具で象徴させ、ラストショット、四畳半の侘しい借間でキスを交わす山内賢と和泉雅子を捉えた名手・萩原憲治のカメラワークは、360度回転しながら“幼き愛の遠心力”のエネルギーを観る者に伝える。


江崎監督(左)、和泉雅子、山内賢(『花嫁は十五才』撮影時のスナップ) ©日活

どうやらこの「カメラの回転」は初期の江崎監督の“シグナル”で、第2作『太陽西から昇る』(64)でも見られる。ワケあって世の中を斜に眺めている青年(長谷川明男)が大学生のヒロイン(浅丘ルリ子)をオープンカーに乗せ、陽光の下、車を停めるや性暴力へと至る場面。カメラは多様な意味を伴って、俯瞰の高みからグルグルグルと旋回する(撮影は江崎組の“要”となる横山実)。公開時のプレスシートの解説には「泰平ムードの中で歪められた青春をおくる二人の男女に焦点を合わせて、64年のビートニクな青年の生活とモラルを描く異色青春ドラマ」とある。アメリカ発、日本的解釈の“ビートニク”と言えばネクスト太陽族、河野典生の「狂熱のデュエット」に山田信夫が手を入れ、蔵原惟繕監督が川地民夫主演で映画化した『狂熱の季節』(60)が名高い。一方、『太陽西から昇る』は当舎達治が同人誌に載せた(おそらく)戯曲を中島丈博が脚色し、江崎監督は別種の「アンチモラルと道義と生の充実」の綱引きを描出している。意識したのか、少々力み気味に“蔵原ばり”の技法を駆使して。


江崎監督(左)、浅丘ルリ子、長谷川明男(『太陽西から昇る』撮影時のスナップ) ©日活

ちなみに音楽は引き続き、伊部晴美が担当。『花嫁は十五才』ではアコーディオンによるワルツが効果的だったが、こちらはビートニクだけにジャズ。猪俣猛とウエストライナーズ、ヴォーカリーズは水島輝子(テリー水島、水島照子名義でも活動したジャズシンガー)といった布陣で、全編各所に彼女の気だるく物憂いスキャット風の歌唱が響き渡り、虚無的なムードが立ち込める。『日活1954-1971 映像を創造する侍たち』(ワイズ出版)の江崎監督インタビューによれば、前作と今作に関して本人は自己評価でまずまずと語っており、『花嫁は十五才』は「映画評論」誌のベストテンで「五位に入ったのかな」と朧げに回想、かたや『太陽西から昇る』は「映画芸術」誌のコンクールで一位だったと断言している。


『太陽西から昇る』 ©日活

そこで該当する1964年度の「映画評論」ベスト・テンを紐解き、確認してみると、(誌面では『十五才の花嫁』と誤記されている)『花嫁は十五才』は実際のところは19位。評論家12名が選者で、7位にランクインさせた小川徹は選考理由で、3位の『人間に賭けるな』(監:前田満州夫)、4位の『狼と豚と人間』(監:深作欣二)と並べて「抵抗的人間を描いた」とまとめ、同様に7位とした長部日出雄は「可憐掬すべき中に反抗の強さがある」と論評していた。もう一誌、1964年度の『映画芸術』ベストテンは全国の大学映画研究会の投票制となっていて、『花嫁は十五才』は33位、『太陽西から昇る』は27位という結果であり、どちらの雑誌も1位は、今村昌平監督の『赤い殺意』であった。

つまり、先の本人の弁は単なる記憶違いだろう。誤解しないでほしいが「追悼」なのに「貶めている」と受け取らないでもらいたい。できる限り公正に評価をする――その姿勢が、筆者の考える追悼、だ。思うに、当時のプログラムピクチャーとしてはどちらも健闘に値する順位である。目論見としてはまだ「早撮りで有名な、臨機応変で手際のいい」職人監督と目されてはいない、若くて非凡、未知数の江崎実生を改めて浮かび上がらせたかったのだ。


『花嫁は十五才』 ©日活

3作目の初のカラー作品『黒い海峡』(64)はいきなり、石原裕次郎映画である。大抜擢だった。後年の、キネマ旬報1987年9月上旬号の追悼特集、「裕次郎と私」のコーナーへ江崎監督が寄せた一文から抜粋、要約をしてみよう。すなわち、正月1週目の作品に突然お声がかかったものの、脚本が未完成のまま撮入せざるを得ない諸状況で、一度は断った。結局、自分で書き直すことになり、ところが一行の修正もできぬまま神戸ロケに出発したので、撮影&リライトをしながらの修羅場の強行軍に。しかもさらに、脚本や演出に一切口出しをしないはずの裕次郎が「この役で死にたい」と言ってきて、考え込んでしまった、と。


石原裕次郎と江崎監督(左)(『黒い海峡』撮影時のスナップ) ©日活

裕次郎が“壮絶に散る”先行作を挙げれば、『人間魚雷出撃す』(56/監:古川卓己)の玉砕はまあ横に置くとして、ヤラれる死に様が凄い『太陽への脱出』と『夜霧のブルース』(63/監:野村孝)が白眉……であるが『黒い海峡』の描写もかなり衝撃的だ。江崎監督、裕次郎の要望以上の惨劇を用意した。音楽センスは相変わらず良く、挿入歌は「仔猫のミミを捨てないで」「ワン・レエニー・ナイト・イン・トウキョウ」(←クレジット表記。一般的には「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」)の2曲。画面に映っているのは歌手役の吉行和子だが、実際の歌唱は『太陽西から昇る』の水島輝子だった。補足、余談になるが西村昭五郎監督の『帰ってきた狼』(66)には、彼女の出演シーンあり。三保敬太郎によるテーマ曲「白い砂」のジャズボッサアレンジを劇中披露していて、これは貴重映像と言える!


『帰ってきた狼』水島輝子の歌唱シーン ©日活

閑話休題――キネマ旬報1967年4月上旬号にて「次代をになう青年監督たち」という特集が組まれた。「映画作家歴とその主張 付・映画評論家による監督論」とのことで、短文が添えられ、対象作品は前年12月末まで。総勢30名を“あいうえお順”でピックアップしており、江崎監督は浦山桐郎と大島渚の間に挟まれて載っている。任を受け持ったのは以後、ヨーロッパ、フランス映画やアメリカン・ニューシネマの専門書を出し、毒舌でも有名となる田山力哉。文の書き出しで『花嫁は十五才』について触れ、「話の面白さで印象に残っているが、その後は殆ど見るべき作品がない」とクサすと、罵倒は止まらず、ボルテージは上がっていくばかり。他に坪島孝、西村昭五郎、降旗康男、前田陽一のことも書いており、そちらはけっこう穏便なのに、だ。

田山の怒りは、時代相が違うから受け止め方が難しい部分も。むろん、現在においても頷ける部分はある。が、しかし、不当な物言いも多い。すでに故人だから全く以てフェアではないのだけれども、これには今更ながら江崎監督になり代わって、一言申したくなる。筆者の追悼の仕方はこういう形を取る。次回、具体的に記してみたい。

(後篇につづく)

【参考文献】
・『万華鏡の女 女優ひし美ゆり子』(ちくま文庫)ひし美ゆり子 樋口尚文/著
・『リアルの追求―映画監督小澤啓一』(ワイズ出版)小澤啓一/著 千葉慶/編
・『日活1954-1971 映像を創造する侍たち』(ワイズ出版)野沢一馬/編
・「映画評論」』(映画出版社)1965年3月号
・「映画芸術」(映画芸術社)1965年3月号
・「キネマ旬報」(キネマ旬報社)1987年9月上旬号

日活フィルム・アーカイブで「追悼・江崎実生特集」を期間限定無料配信中!

<日活フィルム・アーカイブ>
【追悼・江崎実生特集】

[配信作品・配信日時]※全て無料配信(期間限定)
『花嫁は十五才』※配信中
1964年 監督:江崎実生 出演:和泉雅子 山内賢 東野英治郎 奈良岡朋子

『やくざ渡り鳥 悪党稼業』※4/5(日)19:00まで配信中
1964年 監督:江崎実生 出演:和泉雅子 山内賢 東野英治郎 奈良岡朋子

『太陽西から昇る』※配信予定あり(日時未定)
1964年 監督:江崎実生 出演:浅丘ルリ子 長谷川明男 中尾 彬 芦田伸介

https://www.youtube.com/@NikkatsuFilmArchive

<日活プラス>
[配信中作品]
『黒い海峡』1964年 監督:江崎実生 出演:石原裕次郎 十朱幸代 吉行和子

『喜劇 男の顔は人生よ』1971年 監督:江崎実生 出演:三波伸介 夏純子 内田良平

『太陽西から昇る』※5/1(金)より配信開始予定 ※開始日は変更となる可能性がございます。
1964年 監督:江崎実生 出演:浅丘ルリ子 長谷川明男 中尾 彬 芦田伸介

★「日活プラス」では上記以外にも江崎実生監督作を配信中!無料体験も実施中!
https://www.amazon.co.jp/gp/video/storefront/?benefitId=nikkatsuplusjp

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