vol.1 愛の渇き

2020年02月21日(金曜日)

スタッフコラム「フォーカス」へ、ようこそ!
当コラムでは、日活作品や当社が関連する事業などに従業員目線で"焦点(フォーカス)を当て" 様々な切り口でその魅力をお伝えします。記念すべき第1回は、1967年公開映画『愛の渇き』にフォーカス。どうぞ、お楽しみください。



昨今の日本では、不倫が大きな話題になることが多いです。

江戸時代には近松門左衛門の『堀川波鼓』『大経師昔暦』といった「不倫もの」の芝居が大当たりするなど、不倫には大衆の興味を惹きつけてやまないものがありますが、昭和の時代にも「結婚前の男友達と再会し関係を持ち、官能に目覚めていくヒロイン」を描いた三島由紀夫の『美徳のよろめき』がベストセラーになり、「よろめき夫人」「よろめきドラマ」という言葉が流行ったことがありました。

今年は三島由紀夫没後50年ということで、「よろめき小説」の大家・三島由紀夫原作の日活映画『愛の渇き』(1967年/蔵原惟繕監督)を取り上げてみたいと思います。

*『美徳のよろめき』も日活で映画化されていますが(1957年/中平康監督)、あまり見る機会がありません。(見られる機会が増えると良いなぁ... イチ社員の心の声)

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三島由紀夫の描く人物は観念的です。『愛の渇き』のヒロイン悦子は次のように描かれています。

 しゃにむに自分を幸福だと考える根拠を築くために、悦子は今では凶暴な論理を必要とした。
『何もかも呑み込んでしまわねば......。何もかもしゃにむに目をつぶって是認してしまわねば......。この苦痛をおいしそうに喰べてしまわねば......。砂金採りは砂金ばかり掬い上げることはできないし、また、しもしないのだわ。盲滅法に河底の砂を掬い上げるその砂のなかに砂金がないかもしれないし、また、あるかもしれないのだわ。その在不在を前以って選ぶ権限は誰にもありはしないのだわ。ただ確実なことは、砂金採りにゆかない人は、依然として貧しさの不幸に止まっているということだけだわ』
 更に悦子は考えた。
『そして更に確実な幸福は、海に注ぐ大河の水をのこらず呑み込んでしまうことだ。私は今までそれをやって来た。今後もやるのだろう。私の胃の腑はきっとそれに耐えるだろう』
 こうして苦痛の限りなさは、人をして、苦痛に耐える肉体の不滅を信じさせるにいたる。それが愚かなことであろうか?

(三島由紀夫「愛の渇き」新潮文庫 1952年、188-189頁)

海の水を呑み干しても悦子の喉の「渇き」は決して収まらないだろうと思いますが、こんな観念の怪物のようなヒロインを浅丘ルリ子が演じます。

蔵原惟繕監督は『憎いあンちくしょう』(1962年)で、「純粋愛は存在するのか?」という命題を実証するために石原裕次郎が東京から九州までジープを走らせる(それをジャガーで追う浅丘ルリ子)という観念的ロードムービーを撮っていますが、『愛の渇き』の浅丘ルリ子は、たった一人で「愛」という名の「不毛の荒野」を歩いていきます(その孤高の佇まいはクリント・イーストウッドを思わせます)。

浅丘ルリ子(悦子)は夫が急逝した後、中村伸郎(義父・弥吉)の情婦になっています。

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虚無的に生きる浅丘ルリ子は、この世のものとは思えぬ美しさです。その"異星人感"はデヴィッド・ボウイに匹敵します。


愛に渇いていた浅丘ルリ子は石立鉄男(園丁の素朴な青年・三郎)に心惹かれていくが、彼には女中の美代という恋人がいた......。

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とかくこの世はままならぬものですが、そんな苛酷な世界に浅丘ルリ子は観念の力をもって立ち向かっていきます。

浅丘ルリ子の「観念=妄想」力は現実をねじ曲げ、石立鉄男との"脳内お花畑"まで生み出してしまいます(「悦子は三郎が腕を組んでくれることをふと想った。彼の金色の産毛に縁どられた腕にもたれて、この道をどこまでも歩いてゆく......」~映画本篇ナレーション~)。

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しかし石立鉄男の絶望的な"裏切り"を知った時、浅丘ルリ子は復讐の鬼と化し、イーストウッドのように"許されざる者"に怒りの鉄槌を下すことになるのです。


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浅丘ルリ子は"嫉妬の炎"で自分の手を焼いてしまいます。


三島由紀夫は『愛の渇き』の試写を見て「これはすぐれた映画作品であり、私の原作の映画化としては、市川崑氏の『炎上』につぐ出来栄えと云ってよかろう」と高く評価し、ラストの惨劇が「必然的に論理的に説得力を以って組み立てられているのに感心した」そうです。また「これはいわゆる女性映画であり、浅丘ルリ子の扮する悦子が全篇出ずっぱりである。浅丘ルリ子は、目をみはるほどの好演技で私はおどろいた」と書いています。(「映画芸術」1966年5月号)

『愛の渇き』はモノクロで撮られていますが、一部カラーのカットが使われています(パートカラー)。

全てが終わった後、突然空が真っ赤になり(浅丘ルリ子の"情念の炎"が世界を焼き尽くすかのようです)、浅丘ルリ子は「ここではない何処か」へと歩き去っていきます。

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蔵原惟繕監督と浅丘ルリ子


蔵原惟繕監督は『愛の渇き』について「私は、悦子を描くことによって彼女の中にある絶望と孤独に裏うちされた純粋なエゴイストとしてのきびしさを瞶めて行きたいと思う。何故ならば、絶望を生きながらこれほど熱烈に、自分の生を肯定的に生きた女は、居ないからです」と書いています。(「キネマ旬報」1966年1月上旬新年特別号 106頁)


浅丘ルリ子は『愛の渇き』についてこう語っています。

これも私、大好きな映画です。まだ25歳でしたけど、本当の意味で、初めて大人の女性を演じたような気がします。でも、私がこうやってずっと女優としてやって来られたのも、蔵原さんのおかげです。私を、浅丘ルリ子という女優を、違うところ、もっと高い次元に行かせていただいたと思います。
(「女優 浅丘ルリ子」キネマ旬報社 2014年、48頁「浅丘ルリ子ロング・インタビュー」より)

『愛の渇き』は「蔵原惟繕=浅丘ルリ子」コンビの「愛の結晶」でもあったのです。

(vol.1 文:太田慶)


愛の渇き
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1967/2/18 公開
監督:蔵原惟繕
キャスト:浅丘ルリ子 石立鉄男 中村伸郎 山内明 楠侑子
脚本:藤田繁夫(藤田敏八) 蔵原惟繕
原作:三島由紀夫
*作品詳細はコチラ
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DVD発売中 ¥2,267+税
発売元:日活 販売元:ハピネット
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