あの川の橋の下。 昨日からそこが弟の家になった。 理由はわからない。 私が3日前 家に帰ると弟の部屋のドアが開いたままであった
。いつも頑なに入ることを拒むあいつが ドアを開けたままなんて。 閉じられていると開けたくなるドアだが
開いていると不思議に何の興味もなくなってしまう 私の部屋は相変わらずの散らばりよう。 部屋はその人の脳の中と同じだと聞いたことがあるけど、よく分かる気がする。私のあたまの中身は整理とはほど遠く明日のことも考えず
昨日のことも忘れ 今現在にも逃げ腰なヨワムシのすみかだ。 メール受信音がなる。反射的に、携帯をつかみとり受信画面をひらく。あの人から?そんなことを期待して焦っている自分に、恥ずかしくなる。
弟からだった。”オレは当分旅に出ます。探してもまだ見つけないで。
まただ。 弟は昔からよく旅に出る。 気が小さいのか繊細なのか、ふと気づくと 弟がいない。 でも大抵近所の犬と遊んでいたり
引っ越し前の昔の家を見に行っていたり すぐに見つかるし すぐに帰ってきた。 そんなことが中学までよくあったけど。それ以来はなくてずっとそんなことは忘れていたのに。
翌日 土手を歩いていたら 弟をみつけた。 あの橋の下に体育座りをして じっと対岸をみつめている。 「ねえ、見つけて欲しくないんなら。もう少し工夫してよね」
私はしゃがんで弟の顔を覗き込んだ。 弟の目は私を見なかった。 見ようともしてくれない。 ふいに小さな怒りが生まれ その怒りの粒がプチ プチ と 私の中で破裂しだす。弟の態度にあの人の姿が重なる。みんな、私の存在を無視するんだ。
私はそのままその場をあとにした。 弟には彼女がいる。彼女がどうにかしてくれるだろう 。もしかして、 失恋? 私はなぐさめるべき? いや 失恋ではないはず
私と一緒にしちゃだめだ。あのペアリングまだ薬指についていたじゃない。きっとまた 昔の家出クセが出ちゃったんだね。 そっと何もついていない自分の薬指に触れてみる。あんなもの、はじめから欲しくなかった。
その 翌日。 橋の下 にまだ弟はいた。昨日と何も変化していない。目線はただ対岸一点だけを向いている。 対岸に何があるってゆうの。 弟よ お前はそこで何をしているの。
その日私は 橋の下まで行くのをやめた。 そのかわり 何時間かずっと 橋の上から弟をみていた。 時々 目線の先の”何か”にも目を泳がせてみる。やっぱり何も見つけられない。
夕日が川面を美しい宝石にした頃 私は家に帰った。
家に帰ると手持無沙汰に机の上を片付けてみた。 大抵毎日撮るプリクラは、あげる 人もなく 貼られることもなく積み重ねられている。 まきちゃん ゆう たかし
みな。辞書並みの厚さになったそれを まとめてゴミ袋に。 中身が少しずつ残ってるマスカラ。 いらない。 グロスも口紅も。 どんどん膨らむゴミ袋が心地良い。机の上には何もなくなった。いや、何か残っている。まだ、捨てていないものがある。私は、それが何か知っているはずだ。暗い影だけがきれいになった机の上に不気味に伸びている。「またこんど」そうつぶやいて、私は振り返らずに部屋をあとにする。
私は次の日の朝 弁当を作って橋へ行った。 そっと弟のそばに置く。
「もう、いい加減帰ってきたら」 「…」 「悩み、があるわけ?」自分で質問していながら、「悩み」という言葉に後ろめたさを感じてどもってしまった。 「…」
少しだけ弟の目が動いたような気がした。 たんなる川面の反射かもしれない。腕をつかんで ひっぱって連れて帰れば良いじゃん、 どこかの私の声が言う。 分かってる。でも
いそがなくても そのうち帰ってくるよ。まさか ホームレス志願じゃあるまいし。 若いやつってのは 時々逃避したくなるんだよ。 私だってよく。
その日も私は1人きりで家に帰ってきた。 半開きになったままの弟の部屋 ゆっくりとドアを押す。 フィルムの酸っぱい匂いがたちこめる部屋。散らばった写真にはどれも
人がいない。 木の根っこや 廃居ビル さびれたスナックの看板。こりゃあ 病んでるな、あいつ。 最近弟と話したのいつだったけ。半年前?いや もっと前だ。二人しか住んでないのに
。 もっと話しかけてあげたら良かったのね、私。あいつの写真嫌いじゃないし 誉めたりなんかしたら良かったのかなあ。 芸術に答えはないよ 追求には終わりがないよ
だから 君には撮り続けて欲しいんだよ。 私のぶんも、私のぶんも 。 机の上の捨て忘れたものの影が私を責める。「何、にやにや笑ってんの。人の不幸を楽しんでるんでしょ。あの時だって、どうせすぐに、こいつは捨てられるだろう、って馬鹿にしてたんでしょ。」弟へ浴びせた罵声が蘇ってくる。「そうゆうの、やめたほうがいいよ。あんたに、人間撮る資格なんてない、人を蔑む奴なんかに誰も、自然な笑顔なんかを見せやしないよ。せいぜい、人の不幸撮ってうすら笑い浮かべときゃいいじゃない。」弟は何も言い返してこなかった。微笑したそのままの顔で、なにごともなかったように、私の前から立ち去った。きい、と閉まりきらなかった弟の部屋のドアの音を、私は今でも覚えている。弟は悪くなかった。悪気はないのに。頭のなかを、机の上のあの影がよぎる。私はまた再び、あの影に苛立ちを蘇らせるのだ。あの人を許さない。私を捨てたあの人を一生許すものか。
さあ、先へ進もう。これからどうするか。 まずはあいつが家へ戻るために必要なことを考えなきゃね。 そんなことを考えながら 睡魔の中へひきこまれていく。
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