もし一日が二五時間だったら、わたしはその一時間をあなたを想う時間に費やすだろう。愛する人の体温を感じながら眠りにつき、夢の中でもまたあなたに逢いたい。
十月二十日、晴れ。その日はいつもと変わらぬ朝だった。目覚めた際に右側の温もりがないことも、もう慣れてしまった。唯一違ったところといえば、いつもよりも苦めにコーヒーを淹れてしまったこと。
今日で全てが終わるかもしれないというのに、わたしの心は何故か落ち着いていた。
フレンチブルドックのサツマを連れて家を出る。井の頭公園へと向かう途中、紅葉の香りを含んだ秋風がわたしたちを包み込んだ。
一、S&B
これ以上、特に用事はなかった。探していた新書の本も見つかったことだし、少し休んだら帰ろうと思っていたところだった。休憩に入った道玄坂のコーヒーショップの二階席でなんとなく外に目を向ける。下を行き交う人々は皆、誰かにせかされているように歩くのが速かった。
わたしはあることに気付いた。幾重にも人が連なって歩いている中で、ポツリポツリと吸い込まれるようにある細い路地へと入っていく。よく見ると、路地の前には「S&B」という看板がどこか控え目に立っていた。
コーヒーショップをあとにし、上から見ていた細い路地へと向かった。人一人がやっと通れるほどの通りを抜け、少し行くと雑貨屋が並んで建っていた。そこは昼間だというのに薄暗く、雑貨屋から漂ってくるお香の香りが鼻をつく。雑貨屋の隣に先ほど見た「S&B」の看板を見つけた。【噂買います・売ります】 入口のドアにそう書かれていた。中から女子高生が満足そうに茶封筒を持って出てくる。わたしは興味本位で中に入ることにした。
客が来たことを知らせるドアの鐘がカランと音を立て、引き戸が開いた。中は想像していたよりも狭く、掲示板のようなボードが所狭しと並んでいた。掲示板には住所と人名が書かれた封筒が画鋲で貼られている。よく見ると封筒の右上に赤字で四桁の数字が書かれていた。
「誰のをお探しですか?」
その声にハッとし、封筒へと伸ばしていた手を元に戻す。振り返ると金髪で背の高い男が笑みを浮かべ立っていた。耳はもちろん鼻や眉にもピアスが光っている。
「あの、特に探してるってわけじゃないんですが、表で看板見て面白そうだなって思って……」
「お客さん初めてかー、だったら自分の噂買ちゃえば?」
客のわたしに対して敬語でなくとも、不思議と嫌な気分ではなかった。最初は敬語で話しかけ、段々と親しげに話すことで相手に安心感を持たせる話術が彼にはあった。
――わたしの秘密。果たしてそんなものが存在するのだろうか。
名前と住所を訊かれ、彼が向こう側の掲示板に消えた。少しして「あった!」と嬉しそうな彼の声が聞こえてきた。
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