「そんなにおもしろい本なら、あたしも読みたい」
産婦人科の待合室で母は雑誌を読んでいた。
「おもしろくはないわよ。ユリは絵本がいいんじゃない」
母はそう言ってねずみの兄弟が出てくる絵本を差し出した。
よく私は母に付き添って病院に行った。もう少しで妹が産まれることにワクワクした気持ちで一杯だったからだろう。
「ウ・・ワ・・サ?」
幼稚園で習ったばかりの片仮名を使って、母が手にする雑誌の表紙を読み取った。
「そうよ、ウワサのご本。本当かどうかは分からないの」
「ウワサって、なに? ドコで売ってるの?」
母は微笑みながら小首をかしげて私に言った。
「ウワサ屋さんってお店があるのかもね」
母は次の年に妹を産み亡くなってしまった。
元々体が弱かった母にとって妹を産むということはリスクが大きかったのだと父から言われた。
妹は蓮華と名づけられてすくすくと育った。
私は蓮華の面倒を見ることにもすっかり慣れた。そんな時に父が見知らぬ女性を連れてきた。
「百合、紹介したい人が居るんだ」
私は拒絶した。自分の部屋から見る空は気持ちとは反対に真っ青に晴れ渡っていた。
次の日、学校から帰る途中に見たこともない看板が目に入った。
【ウワサ有ります】
今までこんな看板をみたことが無かった。小さい頃からここを通っているはずなのに。
母が言っていたお店ってここのことだったのかと思うと、知らずにフラフラと店内に引き込まれた。
ふと一冊の本が目に入った。
表紙には何も書かれていない。なのに、その本は何か不思議な重さを感じさせた。私は真っ白なその本の中を見てみたくなった。きっとおもしろいことが書き込んであるに違いない。そんな気がしてその本をそっと開いてみた。
と、後ろの方で男の声がした。
「その本、中味はまだ真っ白。何も書かれてないんですよ。ウワサの本です」
まるで空気のようなその男は、全身黒ずくめの格好をしてそこに立っていた。どうやら店主らしい。
「すいません。魔が差して・・・今、買おうかなって思って・・・」
思わず出た言い訳がまるで万引き犯のようだったので、自分が情けなくなって私は小さくなってしまった。
そんな私の慌てぶりを見つめていた男がさらりと言った。
「差し上げますよ。あなたには必要だ。使い道はあなた次第です。楽しんでください。注意書きはちゃんと読んでね」
男の説明によると、この本に流したい噂を書き込むとそれが現実になるというものらしい。
「噂の本…?」
家に帰った私は、鞄から本を取り出した。男が言ったとおり全て白紙のページで占められていた。
【変えてはいけないモノ有り】
あれだけ念を押された割にその一行しか注意書きはなかった。何かよく分からなかったので、私は気にも留めなかった。
それより、好奇心が刺激され、たくさんの噂が頭に浮かんだ。
だが、私は怖くて、ただ「季節はずれに、庭のバラが咲く」とだけ書き込んだ。
その一週間後、葉を打ち枯らせたまま、庭のバラが本当に季節はずれの花を咲かせてしまった。
驚いた私は真っ赤な花びらにそっと指を伸ばした。
柔らかな感触が指先に返ってきたと思う間もなく、バラは次第に色合いを失い透けていき、やがて靄のようにかすれて消えてしまった。
でも、誰かのいたずらでもなく、間違いなくバラは本物の花を咲かせていたのだ。
ふと、私の脳裏にある考えが浮かんだ。
「さすがに、母さんが帰って来るなんて無理だよなぁ。死んじゃってるし」
ためらったが、既に私はペンを走らせていた。
【母帰る】と太く大きな文字で――。
|