六月のある日。この四月に一年生になったばかりの聡子が長靴をパタパタいわせながら道を急いでいる。雨は朝から降り続き、まだ昼過ぎだというのに辺りは薄暗かった。父は朝、「寄り道しないで帰ってくるんだよ」と聡子に言った。そんなこと言われなくても父の公休日である月曜日は、早く帰りたくて聡子は学校にいるうちから落ち着かないのだった。
「パパ、ただいま」
玄関をガラガラッと勢いよく開け、長靴を脱ごうと足をばたつかせながら、仏壇の遺影にむかって(ママ、ただいま)と言いかけた時、父と向かいあって見知らぬ人がいることに気がついた。三十を少し過ぎたくらいの女だ。女はひどく無愛想で聡子に向かってニコリともしない。少し強い目で聡子を見つめた。聡子も挨拶を忘れ女を見返していたが、そっと父の袖をひき(だれ?)とたずねた。
すると、父は笑顔で、
「恵子さん。聡子の新しいママだよ」
と言った。
聡子は思わず女の方を振り向いた。女は聡子にぎこちなく会釈した。微笑もうとしているのか、口元が小刻みに引きつっている。聡子は状況がうまく飲み込めず、父にしがみつこうとした。それなのに父は「おやつにしよう」と言って、聡子を置いて台所に行ってしまった。父はすぐに戻ってきたが、お茶とお菓子をテーブルに置くと、その女に優しく話しかけた。そして、休む間もなく喋りつづけた、いつもは口べたな父がだ。女はただ黙ってうなずいている。普段と違う父の様子と見知らぬ女の出現に戸惑い、聡子は泣き出してしまった。仏壇の母のところへ走っていき、しゃがみこんで顔を伏せた。「もし寂しいなとか困ったなって時はママに相談してごらん」と、母の写真を指さして、父はよく言っていた。そして聡子が仏壇の前で泣きべそをかいていると、必ず父はそばに来てくれた。でも、今日はいつまで待っても迎えに来てくれない。振り返って見てみると、父はまだその女に何か話している。女も聡子への態度とは違い、かすかに笑いながら父の言葉に応えている。
降り続ける雨の音しか聞こえない。狭い家なのに、父がとても遠くに感じられた。濡れた髪や服が貼りつき、聡子は寒くなってきて膝を抱えて小さくなった。そしていつの間にか眠っていた。
それからの数日間は記憶があまりない。とにかくあの日から、寝ても覚めてもその女は居た。女は聡子に食事を作ってくれたし、風呂も沸かしてくれた。でも聡子に話しかけることも触れることもなく、また聡子も「ママ」などと呼ぶことはなかった。はじめは違和感を覚えたそんな生活も段々毎日繰り返される日常となった。
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