高座渋谷駅。
小田急線沿線の小さな駅である。
夕暮れ近い駅前では、八百屋がビールケースの上に立ち、裸電球に照った頭で買得をうたっている。商店街の入口を示す看板はラーメン屋のそれにも及ばないほど痩っぽちだ。人も少ない。歩道は無いに等しいくらい細く、たまに行き交う車は店先に並ぶ品に触れそうだ。魚屋が客を呼び込む声が、肉屋が客を呼び込む声ががらんとした街にやたら大きく響いている……。
その日は小雨が降っていた。共に下車したまばらな人々にまぎれながら、男も商店街を歩いていった。不意なことだった。そこは、初めて降りる駅なのだ。何故男がここにいるのか、それは遡れば小田急線で藤沢駅まで行き、江ノ電で鎌倉へ行くつもりだったのを、途中の駅の高座渋谷で不意に降りたことに始まる。そしてまた何故鎌倉に行きたかったのか。それをさらに遡れば、男はその時分長い間家に閉じこもっていたのだが、幼い日からよく訪れた鎌倉にようやく足を運んでみようと思い立ったことに始まる。そして最後に、何故男は長い間家に閉じこもっていたのか。
それは―――――息子の死、に始まる。
かつての男は、仕事で世界中を旅し回っていた。ヨーロッパ、アメリカ、アジア、アフリカ、オセアニア。知らぬ国の方が少なかった。だからこそ、一般の人が抱く地球ではない大きな地球を持っていた。心は、いつしか地球に匹敵していたのだった。
そして西欧の大国にいた頃に、妻から届いた息子の死の報せは、日本のしがない町の葬儀場を示していた。小さな棺桶の息子の顔は、成長したせいで他人のようだった。細く、長い体が、目の前で知らぬ間にした成長を見せ、知らぬ間に死んだ姿で横たわる。まぎれもない、息子。それは五月の初めだった。葬儀が終わり、男が長く帰ることのなかった自宅、その子供のいなくなった自宅へ帰ってみると、屋根には鯉のぼりがあげられていた。妻があげたのだろう、その男児の成長を祝う鯉は、青く大きな鯉だった。綺麗だと思った途端、そこで男はようやく、わっと泣き出した。
こもるようになった夫を心配した妻は、散歩を勧めた。何度か断ったが、馴染みある鎌倉がふと頭に浮かび、少しならと出掛けた。しかし、やはり鎌倉で楽しむ自分が想像できず、高座渋谷で不意に降りたのだった。商店街は、歩く人がやけにのろまに感じられた。けれど、追い越すことはしなかった。するとその時、雨脚に強い風が加わって、男の傘はおちょこに壊れてしまった。目の前にある大型スーパーへと駆け込んだが、結局傘は骨から壊れており、直せなかった。
五階に百円均一の雑貨店があったので、男はそこで傘を探した。傘は特別五百円だった。しょうがなくレジに並ぶと、男の前に並ぶ母子があった。焦げたような髪が乱雑に痛んだその母親は、手も足も腹も均等に小太りで、ボーダーのシャツがそれを増長していた。歯ブラシ、タッパ、スポンジ、石鹸、それら百円均一の物をレジに乗せ会計を待っている。その母親が横目でふと男の持つ傘を見るなり「あれ、雨なの今?」と話し掛けてきた。男は空々しくうなずくと、母親は何ともとれぬ表情をしてうなずき返した。その口元の半笑いは、どこか卑しく気持ち悪かった。それにくわえ、男は汚いとも思ってしまった。すると母親の背後にいた娘が急に踊りだした。小さい子供によくある発作的な舞だ。しかしこれが驚いたことに、その小学校四、五年位のその娘は、汚らしい母親からは想像できないほどに美しかったのである。とてもこの母親の娘とは思えなかった。そうして見とれてる間に、レジは男の番となり、母子は手をつないで帰っていった。
きっとあの娘は大きくなったら、誰も敵わないほど美しくなるだろう。そうしたら娘は母のことをどう思うだろうか。ふと一瞬でも、「汚い」と思ってしまうだろうか。「類は友を呼ぶ」のように考えたとしたら、美しいものは美しい場所を、そうでないものはそうでない場所を無意識に選びだすものだとして、果たして、あの二人がそのままの良き関係でいるだろうか。いや、きっと、いつかあの二人は離れてしまうだろう、と、男の頭の中にはあの母親の半笑いが哀しく浮かんだ。
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