イベントレポート

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3/7公開『パリよ、永遠に』戦後70年特別企画 トーク付試写会に元NHKアナウンサーのおふたりが登壇!
2015年02月27日(金曜日)

破壊される運命にあったパリを、ひとりの男の外交力が救った史実を描き、来週末3/7(土)より全国公開される 『パリよ、永遠に』 のトーク付特別試写会が、2/26(木)ドイツ文化会館で行われました。

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ナチス・ドイツ占領下のフランスで、ヒトラーによって実際に計画されていた 「パリ壊滅作戦」。

かつてパリを訪れ、その街の美しさの虜となったヒトラー。しかし、ドイツの敗北が時間の問題となった第二次世界大戦末期、ヒトラーはパリの美しさへの嫉妬ゆえ、エッフェル塔、オペラ座、ノートルダム大聖堂などパリの象徴でもあり、世界に誇る美しき建造物を全て破壊する計画を命じる。

今まさにその計画が実行されようとしていた運命の一夜が明け、そしてパリは生き残った。そこには美しいパリを守るため、一世一代の「駆け引き」に出たひとりの男の存在があった―。

映画 『パリは燃えているか』 でも知られるエピソードを一夜の出来事に凝縮した原作が、シリル・ジェリー作の舞台 「Diplomatie」 となってフランスで大ヒット。本作は、その舞台をドイツの名匠フォルカー・シュレンドルフ監督と、舞台と同じキャストであるアンドレ・デュソリエとニエル・アレストリュプという二大名優で映像化した、運命の一夜のスリリングな駆け引きを描いた作品です。

いよいよ来週末3/7(土)に公開を控え、戦後70年特別企画トークイベントに、NHK初代キャスターであり元NHK報道局長で、ヨーロッパ総局長もつとめられた磯村尚徳さんと、元NHKアナウンサーで現在はフリージャーナリストとしてご活躍の堀潤さんをお招きし、映画の感想をはじめ様々なお話をお聴かせいただきました。

― まずは、映画のご感想をお願いします。

磯村 私は60年近く前にNHKの若い特派員として初めてパリに行った時から 「なぜこの綺麗なパリの街がほとんど爆撃も受けず、そのまま残ったのだろう?」 と興味を持ちましたので、このテーマに思い入れが強いんですね。ですから、今回のお話をいただき、非常に運命的なものを感じました。この映画は会話の一つひとつが洗練されていて、フランス語も俳優さんも素晴らしく、感動いたしました。

 僕は大学時代ドイツに留学しており、ドイツ文学科出身です。当時住んでいたデュッセルドルフから休暇でパリへ旅行に行きましたが、デュッセルドルフの町並みは直角や垂直など直線で、パリは曲線の世界。それが非常に文化的で、醸し出される空気がまったく違うなと印象に残っています。

僕は「ナチス・ドイツのプロパガンダ」と「大日本帝国下のNHK」が卒論テーマでした。NHKで最も早く海外特派員としてスタートをきった磯村大先輩は戦後間もない頃のNHKの様子もご存知ということで、大変関心があります。フリーランスになり、今は戦争の記憶を伝える活動もしています。80~100歳の方々に、爆撃を受けた瞬間や戦場を彷徨った瞬間だけでなく、日常の暮らしがどうだったかを聴いて回っています。

今回の映画からも、その時々の空気が伝わってきます。チーズを食べる、パンにバターを塗りながらインテリジェンスな話をするなど、そういった日常の所作が私たちに現実を見せてくれます。戦争という非日常、特にヨーロッパの戦争は日本人、特に若い世代には取っ付きにくいところがあるかもしれませんが、こうした描き方をされることで私たちも追体験することが出来、戦争の不条理であったり、本作に描かれている人間と人間のコミュニケーションが何をもたらしたのか感情移入しながら観ていました。

磯村さんがパリに赴任されたのが、1958年。まさに映画の続編の世界観を生で聴くことが出来ると思いますので、楽しみにしていてください。

MC ここからはおふたりにお話を進めていただきたいと思います。では、堀さんお願いします。

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 大先輩を前に非常に恐縮、緊張しております・・。まずは磯村さんがパリに赴任された1958年当時の街の雰囲気はどのようだったのでしょうか?

磯村 戦後13年ほど経っていたのですが、街を気をつけて見ると 「この場所でレジスタンスの誰が撃たれて亡くなった」 というようなことが書いてあり、戦争の傷跡が残っていました。それから街を歩いていると私のようにやや太り気味の人間は 「カンボジア人か?」 と言われ、痩せてると 「ベトナム人か?」 と言われる。インドシナはフランスの植民地でしたので、その名残があったんですね。

 映画に登場するスウェーデン総領事のノルドリンクと、ドイツのコルティッツ将軍のストーリーは当時からご存知でしたか?

磯村 少し聞いていましたが、ノルドリンクとコルティッツ将軍とは、ドイツ側が捕まえているレジスタンスの捕虜と、逆にレジスタンスが捕まえているドイツ軍の捕虜の交換や、政治犯の釈放について実は4日間くらいずっと話し合っている仲だったというのが多数説で、映画のようなドラマティックな一晩のことは知りませんでした。

ただ私は運命的なものを感じました。というのも、私はホテル・ル・ムーリスを定宿にしておりました。クリヨンは国賓が泊まり、リッツも有名です。ムーリスは上の下くらいの割とリーズナブルなホテルです。ただ燻し銀のような風格をもっているため、ジャーナリストや学者などに人気の知る人ぞ知るホテルでした。屋上からは実によくパリが見渡せ、地の利を得ているんですね。

パリには綺麗なところがいっぱいありますが、宝石商がいっぱいあるバンドーム広場やダイアナさんが最期の夜に出発したリッツホテルもすぐ下に見えます。何度も屋上に上って見渡してみると、こんな綺麗な都を破壊しようなど正気の沙汰とは思えません。事実狂気のヒトラーが最後にそういう命令を下したわけですよね。

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 歴史に "もしも" はありませんが、あのホテルが駐留場所でなかったら、ひょっとしたらパリ炎上にGOサインを出していたかもしれないのでしょうか?

磯村 そう思います。ドイツ軍の司令部がムーリスにあったことが歴史の"if"で、例えばもう少し外れの方、シャンゼリゼにジョルジュサンクというホテルがありますが、やはりムーリスでなかったら全く違うことになっていたと思いますね。僕は舞台となったムーリスに泊まっていたものですから他人事とは思えないですし、フランスが好きで色々な催し物にお招きを受けるのですが、こんなに関心あるテーマで発言の機会を与えてもらえたことが大変嬉しく、感謝申し上げます。

 僕が一番気になるのは、パリの街を残したコルティッツのことをフランス国民がどのように当時評価していたのか?もしくは対ドイツに戦後彼らがどのような眼差しを向けていたのか?なのですが、実際にパリに赴任され、そのあたりをどのようにご覧になっていましたか?

磯村 フランスはドイツというより、ナチス・ドイツと戦争したんですね。ナチスの直属はSS(Schutzstaffel:親衛隊)という部隊でした。コルティッツ将軍は、ディートリヒ・フォン・コルティッツと言うように "フォン" と付くことから分かるように貴族出身のドイツの正規軍です。この物語の1ヶ月前、ドイツ軍のオーソドックスな将校たちがヒトラー暗殺計画を実行します。コルティッツはそれに加わらなかったため、信頼を得てパリの司令官にされました。これも歴史の "if" に入りますね。つまり一般のフランス国民は、ナチスは悪いけど、必ずしもドイツに反感を持っているわけではないと言いますか、区別して考えていますから、コルティッツ将軍についてもそのように理解していると思います。

 戦争については、当時のフランス人の皆さんはどのような感情を抱いていたのでしょうか?

磯村 簡単に言えることではありませんが、フランスはナチス・ドイツに攻めて来られ、早々と手を上げたんですね。それでペタン元帥率いる対独協力の政府がずっとあったわけです。アメリカやイギリスに言わせると、ド・ゴール将軍という稀有な英雄のお陰で戦勝国の仲間入りをし、国連安保理の常任理事国となっていますが、実際はフランスはあまり戦争をしていません。そういう意味では国民の感情も複雑で、特に私の行った頃はコラボと言う対独協力をまだしていたのか、レジスタンスをやってド・ゴール将軍の側にいたのか、その選別がありました。

 仲介役であるノルドリンクさんはスウェーデン総領事で、「中立的な立場」 を理由に交渉を続けるわけですが、当時のフランスの国民の皆さんがノルドリンクさんにどのような評価をしていたのか覚えていらっしゃいますか?

磯村 中立国はスイスとスウェーデンですが、私もパリ在任中、スウェーデン放送局の特派員と大変仲良くしていまして、スウェーデンとフランスは非常に良い関係にあります。ですからスウェーデンのノルドリンクが外交官としての手腕を発揮して交渉してくれたことについては当然のことでもあり、また感謝もしていると思いますね。

 最初にパリに赴任され、その後1977年からヨーロッパ総局長として再赴任されますが、最初の赴任はちょうどシャルル・ド・ゴール政権が誕生する頃、まさに前夜という頃だったと思います。大戦を経たフランスは、当時どのような政治・思想活動、そして国民はどのような参加をしていたのか、その変化をどのようにご覧になっていましたか?

磯村 これも語れば長くなりますが、フランスはド・ゴール将軍が自ら言うように、チーズの種類だけで246種類あるんですね。つまりそれだけ多様な価値観があって、国民ひとりひとりが違った政治的意見を持っている。そういう国を統治していくのは難しいとド・ゴール将軍自らも言ってますが、ド・ゴール政権前の第四共和政のフランスは小党分立で、しょっちゅう政争に明け暮れていました。こんなこと言ったら怒られそうですが、今の日本とちょっと似てますね。

ディエンビエンフー(の戦い)で負け、まずフランス領インドシナ(ラオス・ベトナム・カンボジ)に独立を許してしまいます。その後、アルジェリアでも独立運動が起き、これも手放す寸前までいったわけです。軍部は軍部で、右翼の影響もあり絶対にアルジェリアを手放さないと。そういった国の危機に "救国の英雄" としてド・ゴールさんが来るんですね。

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日本のメディアは今も昔も単純思考で、当時ほとんどのマスコミが、ド・ゴールさんは職業軍人で独裁者だろうと考え、アルジェリアの解決に乗り出すと言っても信用しませんでした。ですから、ちょっとした自慢話ですが、何十人という日本の記者の中でド・ゴール将軍に会ってインタビューしたのは私だけだったんです。

私がお会いしてからしばらくして、池田(勇人)総理大臣がド・ゴールさんに会いました。その後ド・ゴールさんが 「あれはトランジスタ(ラジオ)の商人」 と言ったと言われていますが、それは若干違っていて、池田総理に会った頃ド・ゴールさんは西側の中で最初に中国の共産党を承認すると腹を決めていました。ですから、どうやったら極東の戦略情勢は動くのかという戦略的な話を日本の総理大臣としようと思っていたところ、経済の話ばかりでいささかガッカリした・・というのがそういう表現になったようです。これも彼が言ったのか、周りがド・ゴールさんを慮って言ったのかは分かりませんけどね。

 戦後70年経ち、ドイツとフランスはヨーロッパを牽引する大国ですよね。もしあそこでパリの街が破壊されていたら、今日のドイツとフランスの関係はあったのか?ISIL対応もそうですし、ウクライナ問題もそうですし、今ドイツとフランスは非常に密接な固い関係にありますよね。パリが残された意味は、どういったものなのでしょうか?

磯村 歴史に "if" はありませんが、パリが残されなかったら独仏関係は今のようには順調じゃなかったかもしれませんね。パリのようにひとつひとつの石にまで生命があるような文化遺産としての都市が破壊されずに済んだことは、人類にとっても大変幸せなことです。

パリはフランス人だけのものではないんですね。アメリカのジェファソン大統領やケネディ大統領は 「人間は誰でも生まれながらにしてふたつの故郷を持っている。自分の生まれた国とパリである」 と言ってますし、へミングウェイや日本人で言えば永井荷風や西園寺公望もそういう考えを持っています。パリとはそういう街ですから、破壊してしまうと文化破壊者という意味合いを帯びてきますから、独仏関係だけでなく戦後の歴史が全然違ったものになっていたかもしれません。

 ナチスはユダヤ人に対する虐殺を行い、人間そのものの尊厳を破壊するような行為が後々非常に問題になっているわけですが、そこに色々な人物がいたということを我々が知ることが大事だと思うんですね。戦争にしても、歴史にしても、我々は中々多面的に見られない面がありますが、ナチスにはコルティッツのような・・

磯村 ナチスではなく、コルティッツはドイツ正規軍の将軍なんですね。ナチスにはヒムラーという人物がいて、パリの破壊に備え、ルーヴル美術館からルーベンスやカルヴァッジョの作品を運び出す手はずをして 「あとは破壊してしまえ!」 と、メチャクチャなことを言いました、それがナチスであって、ドイツ全体ではないということをハッキリ区別しなくてはいけないと思います。

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 一方で戦後70年経つと当時の記憶は薄れていきますし、今の日本の状況を鑑みると、平和という言葉を教育現場で出しただけでも、ひとつの思想教育なのではないかといった声も囁かれるようになってきました。磯村さんは、今の日本の状況をどう思っていらっしゃいますか?

磯村 ひとつは、外交とは何か?ということです。日本では、幕末、明治くらいからずっとなかったと思うんですね。先日の人質事件などで、国際的な駆け引き、外交というものは、命がけの仕事になる場合があるということを一般の皆さんもお分かりになったと思うんです。

ノルドリンクとコルティッツの掛け合いのように、背負っているものは本当に命がけ。それが本来外交なんですね。福沢諭吉は、西洋事情の中で、「外交とは禽獣の世界なり」と言っています。またイギリスの有名な外交官は 「外交官というのは、自国の利益のために嘘をつく紳士である」 という言い方をしているんですね。それくらい外交というものは知恵比べであり、命がけの仕事なのです。

外交官を養成する外務研修所というのがありまして、先ほどのイギリスの外交官の言葉を紹介したところ 「外交官の卵に言わないでください。外交はやはり誠ですよと」 言われました(苦笑)。しかし今回のISILの人質事件のように、これからもっと厳しい世界情勢になってきますから、人質事件をひとつの教訓として、報道する我々も交渉にあたる外交官も、もっともっと鉄のような心で駆け引きに従事しなくてはいけないと思いますね。

 映画では究極の選択が迫られ、結果として街が守られる選択をしたわけですが、今の時代私たちが果たしてあれだけの選択をできるか?を問われるのだと思います。日本において、その時々に判断できる、そういった環境を整えていくためには何が問われているのだと思いますか?

磯村 良い質問ですね。20~30年前に日本の輸出がどんどん伸び、「このままじゃ日本にやられる」 という状況にヨーロッパがなった時、オランダの新聞が 「もし日本列島が海中に没しても、世界で涙を見せる者はいない」 と、相当辛口な評を書きました。そして 「もしこれがパリだったら、全世界の人が泣き叫ぶであろう」 と。

この時、京都大学の梅棹忠夫さんは 「文化は最大の安全保障である」 とおっしゃいました。コルティッツも最終的に目覚めたわけですし、つまり文化を持っているパリを破壊しようとは思わないわけです。日本で言うと、ハーバード大学のウォーナー博士がルーズベルト大統領に 「京都と奈良は爆撃するな」 と直訴し、事実爆撃されませんでした。ローマは色々な遺跡がありますから、無防備都市宣言をして、これも戦争を免れました。

20~30年前の貿易摩擦の頃は、世界の人にとって日本文化は涙するものではなかったのかもしれませんが、今はお寿司好きな人が増え、ポップカルチャーは世界の若者の心を捉えています。クールジャパンで、かなり安全保障的な文化が出来ているように思います。文化を世界に発信していくことが、ある意味で安全保障にもなるという梅棹教授の言葉は、今に生きているのだと思います。

 私たちは、そういった文化をきちんと発信するだけの街づくりが出来ているのか?といったところが考えさせられますね。

磯村 私は東京で生まれ育ちましたが、バラバラですね。来年G7先進国サミットが日本で行われますが、軽井沢が立候補しています。軽井沢くらいの規模の街であれば、高さ制限や広告の規制などが出来ますが、東京の街では難しいためメチャクチャですよね。

パリはムーリスや凱旋門やエッフェル塔など少し高いところからご覧になると、まさに一幅の絵ですよね。(ジョルジュ・)オスマンというひとりの天才の男爵がいて、パリはオスマン男爵が全部企画して行った一幅の絵のような街なんです。日本の都市計画は難しい。民主主義は都市計画に向かないんです。都市計画には独裁者がいないと。ナポレオン三世という独裁者がオスマン男爵にパリという街を作らせ、古代ローマはシーザーがいたために素晴らしい都でした。皮肉なことですが、やはり都市計画は民主主義では難しいということですね。

 一方で、当時ユダヤ人の虐殺が行われ、電車を運転する運転手しかり、輸送を担う職人しかり、担当それぞれは、自分がいったい何のためにそれをやっているのかよく分からないまま作戦に巻き込まれていきました。今考えさせられるのは、各々が考える力やきちんとした知識を持たず、見渡す力がないと、時代の大きな潮流にやはり呑み込まれてしまうのではないかと。

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映画の中にもそういったことが分かるシーンがあり、あの不条理さを二度と繰り返してはいけないということも、映画を観て僕は感じました。現状と照らし合わせてみると、私たちが時代の潮流を読み解く力は、かなり高度なものを求められるのだと思うんです。磯村さんからご覧になって、今の世界情勢、そして日本の状況、私たちはその潮流、自分の10年、20年先を選択できる力があるか?環境にあるか?このあたりはいかがお考えでしょうか?

磯村 これはあまりにも大きな質問で簡単には言えませんが、ひとつは日本で非常に遅れているのは政治であり、さらに遅れているのがメディアです。日本のメディアは "公園のハト" と言われていましてね。一羽が舞い上がるとみんな舞い上がる。で、一羽舞い降りるとみんな舞い降りる。

現役の方に先輩が偉そうに言うのは私の趣味ではありませんが、元からそういう傾向があるんですよね。ISLSの問題をやっていたかと思ったら、今は忌まわしい殺人事件の問題。これはメディアの宿命ではありますが、それが極度にあるのが日本のメディアで、そのため日本人の思考はわりと偏りがあるんですね。多様な見方があるはずなのですが、メディアが右へ倣えでひとつの考え方に固まる傾向があります。

フランスで、今年シャルリー・エブド襲撃テロ事件がありました。そのために1/11に全国で400万人くらいのフランス人が団結し、「私はシャルリー」と叫びながら表現の自由を訴える行進をしました。団結は結構なのですが、いきすぎはいけません。例えば8歳の男の子が小学校の授業で 「私はシャルリーじゃない」 と言ったところ、警察に呼ばれたと言うんです。8歳の男の子が!

アメリカでは同時多発テロの後、米国愛国者法ができ、個人情報まで全部盗み聞きできるような情勢になりました。アメリカは、イラクやアフガニスタンとの戦争の間違いを引きずったまま今日に至ります。そういう意味で、気をつけなくてはいけません。

もうひとつだけ言わせていただくと、日本だけではないのですが、仮想現実(バーチャルリアリティ)が多すぎるんですね。ソーシャルメディアなど、皆さんおやりになっていますね。しかし今日ご覧いただいた映画のように、例えば外交も最終的にはやはり人間と人間の直のコミュニケーションなんです。メディアを使って出来るコミュニケーションとは違うわけです。今は夫婦でも直に喋らないことがあるそうです。しかしそれだけで済ませることに慣れると、忌まわしい事件も起きるわけです。

何と言いますか、もっと人間を取り戻していただきたい。堀さんは現役なのでぜひお願いしたいのですが、ジャーナリストは普通の人と比べて簡単に人に会えるんです。そして旅にも出られる。つまり外国もどんどん見られますし、本だって読める。ぜひ直のコミュニケーションを頑張っていただきたいと思います。

 公開研修会みたいになってしまいましたね(笑)。

*ここでお客様からのご質問を一部抜粋*

お客様 ドイツ軍がパリから去る時、フランス市民は自分たちにも足りないパンなどをドイツの負傷兵に分けてあげたという逸話を聞いたことがありまして、その真偽は分からないですが、ナチスとドイツ軍に対するフランス市民の心象はどのようなものだったのでしょうか?

 先ほど少し触れられていて、ナチスそのものとドイツという国や文化は分けて冷静にみていた国民性もあったというお話でしたが、もう少し詳しく当時のディテールを知りたいということだと思います。

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磯村 コラボといって、戦争中ドイツに協力していた人がいます。有名な女優さんで協力していた人がいたのですが、大衆の前で髪を全部剃られ、街中を歩かされて唾をあびせられるという酷い光景もいくつかありました。それと同時に、先ほども申し上げたように、すべてのドイツ人が悪いのではないという考えがありました。

そしてこれはフランスの大変得なところなのですが、みんながフランス文化に参ってるわけです。例えばドイツの占領軍は、シャンパンがこんなに美味しいものだと知らなかったと。こんなに美味いものがあるのかということで、シャンパンの消費量がものすごく増えたんですね。ということはそれを売って儲けていた人もいたわけですから、色々な要素もあって一概には言えない状況だったのだと思います。

 日本でも江田島の海軍兵学校にいらっしゃった海軍将校の方は、イギリスもアメリカも海軍発祥であり、ある種職業軍人としては同志であるという思いだったという話をついこの間聴きまして、日本=太平洋戦争、軍国主義といった構図とは全く違う戦争の日常があったのだなと僕も驚きました。ドイツもフランスとの間で、対国家、対政権といったものでは語れない歴史や結びつきがありますよね?

磯村 よく、ドイツは日本のように敗戦国でいながら政治家がうまくやったために、一番の敵であったフランスと仲良くなり現在ヨーロッパの中心となっていると言われます。なのに、どうして日本は韓国とうまくやれないのか?と仰る評論家の方も多いのですが、フランスとドイツは国同士の関係なんですね。つまり、日本もアメリカとは仲良くやっています。

ところが日本と韓国の関係は、フランスとアルジェリアの関係に近いんですね。つまり植民地支配された民との関係ですから、どうしたって日韓というのは国同士の関係よりも難しいのだと思います。

ところで連合軍の爆撃をうけたのは日本だけでなく、実はドイツ人の魂といわれたドレスデンという街が、原爆ではありませんが爆弾によって完全に無くなり、何万という人が亡くなっているわけです。そのことをちゃんと監督が脚本に入れているところがこの作品の素晴らしいところだと思いますね。

 そこがハリウッド映画とは若干違いますよね。話題のハリウッド映画では、イラク戦争そのものは大儀なきものであったという視点はまったく描かれていません。戦争の不条理さは描いているのですが、やはり政治的なスタンスは中々触れにくいのかなと。

ただハリウッドのことを笑っていられないのは、今日本でもメディアの自主規制であったり、表現の自由をどう確保するのかといったことが、特にジャーナリスト界隈で非常に気になっているテーマなんですよね。戦争を繰り返さないためにも、自由な表現活動といったものが担保されることは大事だと思うのですが、磯村さんは現状をどうご覧になっていますか?

磯村 私は間もなく86歳ですから、戦争中は物心ついていました。その当時の新聞は、今見たら背筋がゾクゾクするような軍部礼賛だったわけですね。しかし、冷たい戦争が終わってみれば、それは全てインチキでしたね。現状を見ても、日本は言論の自由と言ってもまだまだ分かってないなと思います。あまり偉そうなことは言えませんが・・。

 磯村さんは 「ニュースセンター9時」 を担当されていた時にも、今と同じように自由な語り口でやっていらっしゃいましたよね?

磯村 これは私のかすかな誇りなのですが、私が 「ニュースセンター9時」 をやっていた時に、ロッキード事件が起き、その際にNHKのある方の行動が抗議の対象になりました。それは、まったく私的な関係での行動だったのですが、当事者は結局辞めることになりました。

当時私は事実上の編集長でありキャスターでしたので、この問題を放っておいたらせっかく新しいスタイルのニュースにご好評いただいているのにダメだということで、NHKを辞めるつもりで、上司にも相談をせず私の一存で、抗議の手紙を見せて謝罪したんです。当然辞めるつもりだったのですが、評判がものすごく良かったためにアメリカ総局長のオファーがありました。

私はワシントン市局長を7年やりましたし、あまり性に合いませんでしたので、「ヨーロッパ総局なら」 ということでパリに行ったわけですが、ある週刊誌が、"ミスターNHK、婦女子のごとくパリに憧れ、念願のヨーロッパ総局長に" と書いたんですね(お客様爆笑)。

今世論調査をやっても、日本の女性の一番好きな外国はフランスなんですよ。ところが日本の男性の好きな外国はもちろんアメリカで、フランスは14番目です。どうぞ今日おいでになっている男性のお客様は、フランスにも少し目を向けていただければと思います。それとドイツもね。

 僕はいま東京MXというテレビ局で毎朝7時からニュース番組をやっていまして、今日もそのカメラクルーが来ています。来週の火曜日くらいに放送予定のようですので、ぜひご覧ください。

それにしても、パリが残ったのは文化が残ったこと。「文化が最大の安全保障である」 という言葉は大変印象的でした。日本も良い文化がありますから、その文化を使っておおいに世界の平和にも貢献したいです。今日は貴重なお話をありがとうございました。皆さん、磯村さんに新ためて拍手をお送りください。

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3月7日(土) Bunkamura ル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町他全国公開!

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パリよ、永遠に

★2015/3/7 Bunkamura ル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町他全国公開★

『パリよ、永遠に』

美しき街を救ったのは
一人の男の一世一代の駆け引きだった!

監督:フォルカー・シュレンドルフ

出演:アンドレ・デュソリエ ニエル・アレストリュプ

©2014 Film Oblige - Gaumont - Blueprint Film - Arte France Cinema



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