本日2012年9月10日の日活創立100周年記念日に「創立100周年記念手型モニュメント除幕式・祝賀会」が行われ、俳優やスタッフなど200名を超えるOBの方々が日活調布撮影所に集まって下さいました。
100周年記念の手型モニュメントは、日活に多くの足跡を残して下さった俳優・女優60名と監督4名の計64名のOBの皆さんにご協力いただき、記念すべき創立100周年記念日にお披露目となりました。
除幕式に先立ち、手型にご協力いただいた皆様のお名前が、日活在籍当時のお写真とともに次々と大スクリーンに映し出されると、集まったOBの皆様は口々に「若いね~」「懐かしいね~」と当時を懐かしみ、同窓会のような和やかな雰囲気となりました。
除幕式にご協力いただいたのは、宍戸錠さん、浜田光夫さん、和泉雅子さん、松原智恵子さん。そして、日活16代目社長である佐藤直樹が加わり、多くのOBの皆さんが見守る中、いよいよ除幕です!
OBの皆さんも、ご自身の手型や他の皆さんの手型をご覧になるのは今日が初めて!和泉さんは舞台上をすばやく移動され、「こっち、こっち!」と皆さんを手招きされていらっしゃいました。
今回手型にご協力いただいた方の中には、今年逝去された地井武男さん、中原早苗さんもいらっしゃいます。あらためて、心よりご冥福をお祈りいたします。
また、この手型モニュメントには、複製された故・石原裕次郎さんの手型もおさめられており、日活調布撮影所に設置される他、今後飛田給駅に設置される予定です。
日活ニューフェイス一期生の宍戸錠さんは「58年もここで働いて、いまだにやってます。何でやってるかというと面白いから。映画作りほど面白いものはない!」とお話。
浜田光夫さんは、当時ブルーリボン賞を総なめにした『キューポラのある街』の全国一斉封切が50年前の4月だったということで、今年川口市の植樹祭に呼ばれたそうです。当時とは様相が変わり、かつて鋳物工場の溶鉱炉だった場所には高層ビルが建ち並んでいるのをみて「50年の歴史の重さを感じた」そうです。
和泉雅子さんが日活に入ったのは13歳。一番年下だったので、30代、40代、50代までは先輩たちに「いくつになったの?」と聞かれていたのに、60歳を過ぎたら聞かれなくなったとか。「日活は私の青春!こんないい会社なかった!」と楽しそうにお話して下さいました。
松原智恵子さんは、「素人の私をスタッフの皆さん、共演者の皆さんがとってもやさしく見守り育ててくれました。日活は、恩人であり懐かしい場所です。その日活が100周年を迎える。こんなにうれしことはありません。どうぞ末永く200年も300年も映画を作っていってくれることを願います」と、日活への思いを語って下さいました。
最後は、皆さんでフォトセッション!
囲み取材では、当時の日活の俳優さんやスタッフさんたちの仲の良さが伝わってくるような「青春広場や学園広場という感じだった。助監督さんに勉強を教えてもらっていたお陰で、学校でも成績が良かった」とうお話を聞くことができました。
最後に、日活の100年間を共につくりあげて下さった皆様に、心より感謝申し上げます。そして、「新たなるステージへ」進む日活を引き続き、よろしくお願いいたします。