100周年記念特別企画 “生きつづけるロマンポルノ” 脚本家・白鳥あかねさんが語るロマンポルノとは?
2012年05月18日(金曜日)

  

日活創立100周年記念特別企画 “生きつづけるロマンポルノ” を絶賛上映中のユーロスペースで、『わたしのSEX白書 絶頂度』 の脚本家である白鳥あかねさんのトークショーが行われました。

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女性ながら、スクリプター、脚本家として数々のロマンポルノに携った白鳥さん。『わたしのSEX白書 絶頂度』 の脚本秘話や当時のエピソードなど、女性としてロマンポルノ製作に携わってきた貴重なお話をして下さいました。聞き手は、ユーロスペース支配人の北條誠人さんです。

― 白鳥さんは、どちらかと言うと日活のスクリプターというイメージが大変強いのですが、なぜ脚本を書かれることになったのでしょう?

白鳥 私は、新藤兼人さんの 『狼』 という映画でスクリプター見習いをしていたのですが、「近代映画協会は貧乏で、キミを養ってあげられない。日活は今とても人を必要としていて、これから再スタートする会社なのでぜひ行きなさい」 と新藤監督にすすめられ、1955年に日活撮影所に入りました。当時、日活は製作を再開したばかりでしたので、大歓迎で日活に入れてもらったという、大変幸せな境遇でした。

― それから3、4年後に日本映画第2の黄金期と言われる時代が到来しますが、入社された頃には、黄金期が到来するであろう雰囲気を肌で感じられましたか?

白鳥 私が入社した翌年に、裕ちゃん(石原裕次郎)が現れたのですが、その頃は文芸路線ばかりやっていてあまり当たらず、早くも会社が左前になってしまったのです。そこでアクション路線に切り替えたところ、裕次郎の 『嵐を呼ぶ男』 が大ヒットしました。当時は各社から監督がどんどん集められている時期で、私の師匠にあたる齋藤武市監督は、松竹の小津安二郎門下で、小津組のサード助監督でした。そこで、新しい天地を求めて日活に行こうとしたところ、小津組のカチンコ係だった今村昌平さんも 「連れて行ってやれ」 と小津先生に言われ、ふたりとも日活に来ました。当時の松竹は、助監督がスクリプターをやっていたので、大島渚さんは 「僕にスクリプト書かせるとうまいですよ」 と自慢していました(笑)。つまり、演出部の一員としてスクリプターを育てるのが松竹の伝統だったのです。幸いなことに私を育てて下さった監督は松竹出身だったため、単に編集を管理するためにスクリプトを書くという技術者としてスクリプターを考えるのではなく、将来演出を理解し、演出を担っていく者として養成していただけたので、それが脚本を書くきっかけになったのだと思います。

― 55年に入社され、71年にロマンポルノの脚本を初めて書くわけですが、ロマンポルノ以前のエピソードや思い出はありますか?

白鳥 齋藤武市さんが渡り鳥シーズの監督でしたから、渡り鳥シリーズはほとんど全部やりました。その時にチーフ助監督だったのが神代辰巳さんでした。

北條 神代監督とは、神代監督が助監督時代からのお付き合いなんですね?

白鳥 そうです。彼がチーフ助監督の頃から日本全国津々浦々を一緒にロケして歩くなど、仕事仲間でもあり、兄弟のような感じでずっとやってきたので、クマさんがロマンポルノをやる時にスタッフとして参加することは、ごく当たり前のことでしたね。

シナリオを書き始めたのは、三浦朗という助監督出身のプロデューサーがキッカケです。当時、私はいつもロマンポルノの脚本に文句をつけていたんです。ロマンポルノは量産体制でしたので、かなり粗製濫造なシナリオが多く 「またこんなつまらない脚本?」 とけなしていたところ、三浦朗が 「そんなに言うなら自分で書いてみろ」 と。私は片桐夕子の1作目 『夕子の白い胸』 のスタッフをやっていて、その時に夕子が泣いてばかりいて、みんなが出て行っちゃったんです。私がひとり残って 「お互いにポルノをやることに決めたんだから、恥ずかしがらずにやろうよ」 と夕子を説得したことがありました。そこで 「小沼勝監督、片桐夕子主演でやったらいいんじゃなか?」 という三浦朗のすすめがあり、最初の脚本 『隠し妻』 を書きました。

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ロマンポルノの凄さというのは、何をやっても良いところです。それまでは、「裕次郎のロケは曇っていてはいけない」 「旭は死んではいけない」 というような、様々な企業上の制約がありました。会社としてはドル箱スターのイメージを大切にすることは当然なのですが、かつてのやり方が崩壊してロマンポルノ路線になると、「尺は70分。予算は1,500万円。10分に1回ポルノシーンがあれば、後は会社は何も言わない」 という、ものすごい自由な世界を与えられました。

ロマンポルノ路線になる際、会社は監督やスタッフに向けて 「これからは、ロマンポルノしか作らない。それでも日活撮影所に残るか出て行くかは、自分で決めなさい」 と言い、お前は残れとか、お前出て行けなど一切指図しませんでした。これは凄かったですね。みんなすごく悩み 「ポルノなんか映画じゃない」「ポルノをやると子供が幼稚園でいじめられる」 と思った人たちは、辞めていきました。私は、齋藤武市監督に 「俺はこれからテレビのエース監督になる。お前ひとりくらい食わしてやる」 と言われたのですが、テレビの方には申し訳ないですが、どうしてもテレビの仕事は好きになれず 「日活に残ります」 と伝えました。何の相談もしませんでしたが、神代さんも 「俺も残る」 と。そして日活に残ると、先ほど言ったことさえ守れば何をやっても良いという、創作の自由を私達は与えられ、早い時期に脚本を書く機会がやってきました。

北條 そのキッカケが三浦さんなんですね?

白鳥 はい。三浦朗に 「片桐夕子主演、監督は小沼勝。それだけ守れば何やってもよい」 と言われました。その頃のロマンポルノは、女性が虐げられてヒーヒー泣いてばかりいるような映画で私は不満だったものですから、たくましい女を書きたいなと思い、男を養う勝気な女を片桐夕子にあてて書いたのが、『隠し妻』 です。

― 『わたしのSEX白書 絶頂度』 は、監督が曾根中生さんで、企画が伊地智啓さんですよね?

白鳥 私達はイッチと呼んでいましたが、イッチが 「曾根中生で、女性自身をテーマに1本書け」 ということで書きました。それを書く前に、少し入院していた時期があるのですが、その時に採血係をみて 「エロチックだなぁ」 とチラッと思っていたことを思い出して、美人の採血係を主人公にしたストーリーを書こうと思いました。普通の恋愛関係ではなく近親相姦みたいなことを書きたかったので、採血係に弟がいて・・・というのがストーリーの柱です。ありがたかったのは、曾根さんが本当に私の自由にやらせてくれたことです。小沼さんもそうでしたが、ロマンポルノにあった自由というのは、今のこの業界で苦労しているライターの人たちのことを考えると、本当に自由で、書く人のもっている創造性を非常に大事にしてくれましたね。

― 脚本を作っている中で、曾根さんと相談されて作ったりしたのですか?

白鳥 小沼さんの時はほとんど私にまかせっきりでしたが、曾根ちゃんは時々相談にのってくれて、『わたしのSEX白書 絶頂度』 の弟の友達のシーンでは、「サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』みたいなテイストもほしいな」 と言うことだったので、サリンジャーを読み直したりして、あの弟と友達の関係を作り上げたんです。

― その曾根監督がインタビューの中で、押入れでの懐中電灯のシーンや役員室での3人の絡みのシーンなど、男には思いつかない発想があると仰っていますが?

白鳥 姉と弟の密やかな関係を表現したかったので懐中電灯のシーンを考えついたのですが、照らすことは活動屋の原点ですから、やはりそこは活動屋らしい発想ですよね。役員室のシーンは、どちらかというと淫靡というよりも盛大にやってしまえみたいな感じで、あのシーンでの三井マリアは、単なる道具でしかないということの表現だったんです。

北條 なるほど。それでラストの恍惚とした表情との対比が活きて来るわけですね。

白鳥 そうなんです。それを対照として出したかったのです。

北條 最後に自己解放された表情でこの物語が終わるのは、この映画のひとつの象徴として読めますよね。

白鳥 そうでなくては困るところなのですが、それは曾根中生の監督としての力量ですね。三井マリアはなんともアンニュイな雰囲気をたたえている女優で、あれ1本限りでいなくなってしまうんです。なぜロマンポルノに出たのかを考えると、自分の青春に踏ん切りをつけるために出たのではないかと私は推測しています。なので、お芝居はあまりうまくありませんでした。それをあそこまでみせたのは、曾根中生の監督としてのパワーですね。これは余談ですが、助監督に根岸吉太郎がついていて、汚れた三井マリアの足の裏を拭いたり、裸になっている時間が多いので、毛布を着せたりする係を淡々とやっていました。

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― 白鳥さんのようにスクリプターの方が脚本を書かれたり、助監督がプロデューサーになられたりするロマンポルノの自由さについて、何かエピソードはありますか。

白鳥 それが、「日活という会社にいられて良かった」 と思うところだと思います。つまり映画人として出発して、それは日活だろうと大映だろうと東宝だろうとどこでも良かったはずですが、私はたまたま日活に新人として入社しました。日活は元々は日本一の会社でしたが、戦後のスタートが遅れたばっかりにスターがひとりもおらず、システムが構築されていませんでした。「給料を3倍にする」と言って、監督やカメラマン、録音技師、照明技師などスタッフを色々な会社から引っ張っていたので、会社の今までのカラーというのがまるでなかった。だから、自分たちでそのカラーを作っていきました。

文芸路線の失敗で会社が左前になった頃に裕次郎が突然現れ、会社を盛り返します。それから旭が現れ、ルリちゃんが現れ、小百合が現れ・・・。そういう会社ですから、他の会社のようにスターとスタッフの区別があまりありませんでした。他の会社は、その階級制度がかなり厳しい。しかし日活はみんな一線上に並んでいて、もちろんスタッフとキャストの違いはありますが、それは仕事の違いだけで、一緒にものを作り上げていくということで、仕事の垣根がありませんでした。それが一番幸せでしたね。

そして、なおかつロマンポルノに出会ったこと。ロマンポルノから、もう40年も経っているんですよ。40年も経っているのに、今もこうしてドキドキしながら観られるって、凄いなと思うんですよね。自分で脚本を書いておきながら、今日久しぶりに観て 「あのエネルギーって何だったのかな」 と思って感動しました。それから、脚本を書いていた時は夢中でしたのでそんなこと考えていませんでいたが、こうやって歴史的に振り返ってみると、「“男だからポルノチックな発想が出来て、女はそれに劣る”というような、男女の格差はないんだ」 ということを自分で証明してみせたんだなという気がしています。ロマンポルノに出会ってありがたかったと思いますし、時が経ってもこうやって観に来て下さるお客様がいらっしゃるのもすごく嬉しいです。そして、このようにロマンポルノを上映する機会を作ってくれたことにも、感謝したいと思います。

北條 こちらこそ、ありがとうございました。


日活創立100周年記念 特別企画
蓮實重彦、山田宏一、山根貞男が選ぶ愛の革命 
生きつづけるロマンポルノ

★2012年5月12日(土)ユーロスペースほか全国順次ロードショー!★

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