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“三池監督presents大人だけの空間” に 『八日目の蝉』 永作博美さんがゲスト登壇しました!
2011年04月08日(金曜日)

今年のGW話題作 4月29日(金・祝)公開映画 『八日目の蝉』 に出演し、改めてその演技力の高さを評価されている永作博美さんと、本作を大絶賛して下さっている三池崇史監督による一夜だけのトークライブが、4月7日(木)に行われました。

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三池監督 ようこそいらっしゃいました。3月11日は、揺れましたね。その後、映画業界も元気がなくなっていますが、我々に出来ることは、淡々と粛々と今作っている映画を完成させ、また次に向かって作るということで、自分達なりに頑張ってやっています。そして、夏休みを迎えた子供たちが親戚の家に遊びに行き映画を観に行った時に、ちょっと元気になってもらえるような映画を今仕上げているところです。僕らに出来ることは、感動して頂く、魂を震わせて頂くということで、それが生きる活力というか、元気になるということだと思います。では、ゲストをご紹介します。永作博美さんです。

緊張しちゃいますよね。

永作 緊張しちゃいますよ。皆さんありがとうございます。まだまだ落ち着かない方もいらっしゃるかと思いますが、たくさんの方に来て頂きまして、どうもありがとうございます。

三池監督 皆さんにはこれから観て頂くのですが、衝撃というか、心にガーッとくる作品ですよね。特に男の人は、「あ、俺のことだ」と。避けて通りそうなところを真正面から描いていて、言葉が出ないです。

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永作 今回、色々な性を背負った女性が多く出てくる中、男性の方がこの作品をどう観るのか?あまり反応しないのではないか?と思っていたのですが、意外と男性の方が反応して下さっていて、監督が仰ったように多少身につまされるような方もいるようですが、逆に男性の方が妙に感動してしまっている方もいます。

三池監督 分かります。

永作 それが思っていなかった反応だったので、試写をはじめてキャスト・スタッフ一同とてもビックリしているところです。

三池監督 ずっと身につまされますが、本当に小さいけれども、そして少し屈折しているかも分からないけれども、最後に希望がみえるじゃないですか。で、希望というのは誰かに与えられるものではなくて、自分の心の中のスイッチというか、自分がどこを向いてどっちに歩き出すかということで初めて生まれてくるという、その強さが心地良いですよね。

永作 ありがとうございます。『八日目の蝉』は成島出監督なのですが、原作を読んで「これを希望に繋がる映画にしたい」と、心に強く思ったようで、それを成島監督は断固貫いたという感じですかね。その代わり、私たちキャストは、ただただ「もう1回!もう1回!」と言われながら、何度もテイクを重ねることにはなったのですが・・

三池監督 結構大変な監督?(会場笑い)

永作 あの・・よくばりさんです(笑)

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三池監督 真面目そうだもんね。

永作 そうですね。真面目というのもありますし、多分ご自分のやりたいところに達しなくては納得できないのかもしれないですね。

三池監督 俺とタイプの違う、ちゃんとした監督なんだね。

永作 達しようとするところへは、おふたりとも相当なエネルギーをもって向かっているかと・・。

三池監督 目的は同じかもしれないけど、方法は違いますね。俺は、1回テストして、調子がよければそのまま本番で、誰かが不満であったり違和感があるともう1回やるけど、わりとどんどん進んでいく感じ。で、ディスカッションもなし。役についてどうこうとか、その映画の目的も不明。なんか見えちゃうとね、作っていてもつまらないんですよ。力のある役者が集まってひとつの台本を読み、解釈が違っていると、そこが楽しいんですよ。

永作 「理由がない」ということに関しては、私も同感です。私は役者の仕事をやっていますが、理由を聞かれても「分からないです」とよく言っています。「やるしかない。やるので観ていて下さい」という感じですね。

三池監督 何て言うのかな・・映画って、一貫した人格がないと観る側が戸惑ったりするのだけれども、実際の人生は、朝と夜だったり、何かのタイミングで変わるわけじゃないですか。そういう揺らぎみたいなものが、どんどん映画やテレビドラマからなくなり、みんな分りやすくて、みんな共感できる作品になってきている。劇場に行く目的が「安心しに行く」 というか、「分かる、分かる。そうだよね」と言って、それが隣の人も同じような感想で、それプラスちょっとかわいそうで泣けると、何かお得感がある。僕らが子供の頃は、映画館の設備も薄暗く、タバコを吸っているおじさん達のいる中で、ブザーが鳴って明かりが消えていく時にドキドキしたんですよね。何がどうなっちゃうか分からない感じで。でも、今はテレビシリーズの延長のものがあり、劇場に行った時にはだいたい分かっているんですよ。思っていた通りのことがそこで起こると、「良かったね」と言う。みんなが同じところで「良かった」という。本当は、映画って「俺はここが良かった」「俺はあそこ全然良いと思わなかったけど、ここが良かった」というように 「人と俺は違うんだ」 ということを認識するためにあったのが、今はみんなが同じようなところで泣けて喜べるようなもの、安心しに行くところになってしまっているから、何かちょっと寂しいなと。

永作 そうですよね。映画を観終わった後、同じ映画を違うベクトルから話し合えるのが楽しいというか、軽く口論になるくらい熱くなってくれると嬉しいと思いますし、何かしらのエネルギーを持って帰ってくれるような作品をもちろん作りたいなと思いますね。

三池監督 この映画の特徴のひとつとして、演出をきちっと全うしているので、一般的な感情移入とはちょっと違う凄みがあり、それを客観的に観ながら、知らないうちに魂が震え、「映画って凄い力があるんだ」と思いましたね。ところで、何か奇妙なシーンがあったりするじゃないですか。変な集団がいて、そのリーダーが怖くて、その横にいる人がもっと怖い(笑)。

永作 余貴美子さんと、そのお隣にいる方のことですね。

三池監督 俺としては余貴美子さんだけで十分だぞというところで、隣にね・・いるんですよ。あとは、この写真屋さんは何を写す人なんだろう?という感じに、ポイントポイントで、監督の中でそうでなければいけないという何かが埋め込まれているのだと思いますが、結構ビックリしなかった?子供連れて行って、あのシーンって(笑)。

永作 はい(笑)。初日で、新たな覚悟が生まれましたね。初日がまず赤ん坊を抱きかかえるシーンだったのですが、全身全霊で動物的本能でかかってくるので、全く台本は関係ない。自分の好きな方向に本気で向かっている人を、私は決まっている方向にどうにか連れていかなくてはならず、ドキュメンタリーのような気分で、これは芝居をしようと思ってここにいてはいけないと思いましたね。ここにいる赤ちゃんや、ここにいる4歳の子供と 「一緒にいる」 ということで、たぶん私はこの役の中にいられるのかもしれない。その時、その場を過ごしていくしかないなと初日に何となく感じましたね。

三池監督 赤ん坊は大変なんだよね。子供は、子供なりの子役でいようという意識があるので、逆にコイツが頑張っているんだからこっちも頑張らないとな・・みたいなのがあるけど、ちっちゃい子って虫と一緒だもんね。

永作 虫(笑)?今回4歳の薫に関しては初めてお芝居をする女の子だったので、芝居で泣くということは全く分からず、それがどういうことなのか、何故やらされているのかもちょっと分からないくらいだったんですね。だから泣くのがとにかくイヤだと。何で嫌なのかを聞いたら、「悲しいからイヤ。泣いてしまうからイヤ」と言って、駄々をこねたんです。そんな中でやったので、彼女はお芝居ではなくて、普通に悲しくて泣いているんですよね。それがまた、私は妙にきてしまいました。

三池監督 愛おしくなった?

永作 愛おしかったです。普通に「イヤだ」って言うんですから。いっぱい駄々をこねられて、「じゃ、やらなくていいよ」と言うと、今度は「やる」と言ったりする。そういう感じで、行ったり来たりでした。

三池監督 そんなこと言いながら、映ると結構子供が持っていっちゃったりするんだよね(笑)。昔から犬と子供には勝てないと言うよね。ただ、この映画はちょっと違うね。子供の笑顔やかわいさというのは、手をかけて育てている大人たちが生み出しているもので、そこを観客も一緒に守って応援せざるを得ないというか。このふたりは、どこまでどう流れていくのだろう?という展開なので、あんなに子役が魅力的なのに、そこが売りになる必要がない。どうやって演出すればこうなるのかな?すごいなと思います。

永作 ちなみに監督が気になったシーンはどこでしょう?

三池監督 一番気になるというか、気になりつつ好みだったのは、赤ん坊が駄々をこねて泣いていて、何とか静めようとして母乳が出るわけもないのに与えようとしている現場に、いたかったな。俺、監督やりたかったなと(笑)。

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永作 それ、違う興味じゃないですか(笑)!もう・・ありがとうございます。(会場大爆笑)この作品は原作があり、原作を読まれている方もいるかと思いますが、今監督が仰っていたのは、原作にはない、映画で改めて足されたシーンです。原作でどうしても切らざるを得なかった部分が多かったので、その分足さなくてはいけない部分もあり、新たに足されたのが大きく3シーンくらいあると思うので、原作を知っている方も、また違う楽しみ方をして頂けるのではないかと思います。

三池監督 別れのシーンって、あれは映画じゃないよね。作った世界ではなく、過剰にドラマチックに盛り上げたりするのではなくシンプルで、スパッと絶たれてしまう。永作さんの身に何かが迫っているのだけれども、観ているこちら側にも迫って来て、フッと一瞬にして全部悟るんですよ。時間が一瞬止まる。そのシーンの押さえ具合がものすごく見事ですよ。ラストカットも、それに通じるところがあるよね。非常に良いラストです。

永作 ありがとうございます。映画ならではの長回しということにはだいぶ拘っていたように思います。残念ながら長回しをしたくても出来なかったシーンも、前半には多かったのですが、逆に違うシーンでカットを割らずにということを取り入れたのかもしれないですね。

三池監督 だいたいの映画は、映画が終わる瞬間に登場人物たちの人生のピークがそこにあり、エピローグがちょっと付いたローリングが出て、観終わった時には、その登場人物たちの未来を想像出来ないんですよね。そこで完結してしまうから。ところが成島監督のとっている方法というのは、持続するんですよね。

永作 そうなんですよ!この先、この人たちはどうなったんだろう?と、きっと思ってくれると思うんですよね。

三池監督 そこから色々議論できますよね。それぞれが、これからなんですよ。立ち止まっていて、一歩踏み出すというか、踏み出そうとする気持ち、要は希望がみえた時に、映画は静かにそれ以上立ち入ることなく、スッと下がっていく。その分、観ている我々の心の中に残ってくるので、何かこんな風景みたことあるなとか、こんな気持ちになったことあるなというのは、きっとみんな長い間どこかに引きずっていくだろうなと。

永作 作っていた本人も、エンディングをみて正直ホッとしたと言うか、救われました。

三池監督 多分来年は、各賞を色々騒がせるんでしょうね。

永作 そんな先の話まで(笑)?まずは、たくさんの方に観てほしいなと思います。本当に色々なことがあり、何が起きてもおかしくないと思える今、やはりそこから抜け出せるのは自分なんだなというところを観て頂きたいですね。内容だけ聞いてしまうと、どうしてもネガティブな印象をうけるかもしれないのですが、きっと観て頂いたら、頑張ろうと思って頂けるのではないかとちょっと想像しています。そうなってくれたらいいなという希望も含めてですが。

三池監督 なりますよ。何かいいものに触れることが出来たなと。色んなタイプの日本映画がある中で、みんなが観やすいもの、みんなが簡単に楽しく感動できるものに人気が絞られていき、もちろんそれはそれで良いと思いますが、今こういう手触りの映画がきちっと作られていくということにホッとしますし、何かちょっとやってみようかなという気にさせてくれる映画ですので、ゆっくりとそれぞれの登場人物を追いかけてみて下さい。きっと少し元気になれると思います。

永作 皆さんが観た結果、それぞれに残ったものが、多分それぞれの方に必要なものなのだと思います。だからまたそれを持って、自分と向き合える時間を持って頂けたらな、そんな機会になったらなと思います。

三池監督 それともう一つ。この映画で思ったのは、泣くことって苦しいことなのだけれど、泣くことって悪いことではないんだなと。泣くような状況になったことによって初めて見えてくるものがあって、泣くことが怖くなくなれば、もう少し強く生きられると思います。

永作 すごくそうだなと思いますね。

三池監督 男の人はね、ちょっとビビリますよ。やんわり言ってますが、結構衝撃作ですからね。楽しんで下さい。

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三池監督も大絶賛の成島出監督作品 『八日目の蝉』 は、まもなく4月29日(金・祝)より全国公開となります。楽しみにお待ち下さい。

『八日目の蝉』

★2011年4月29日(金・祝) 全国ロードショー!★

優しかったお母さんは
私を誘拐した人でした

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出 演 : 井上真央 永作博美 小池栄子 森口瑶子 劇団ひとり 田中泯 田中哲司 風吹ジュン
原 作 : 角田光代「八日目の蝉」(中央公論新社刊)
監 督 : 成島出
脚 本 : 奥寺佐渡子
製 作 : 日活㈱
配 給 : 松竹㈱


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