やはり美食の国ですね。
ワインとフォアグラを食べるシーンが印象的です。どんな状況でも食べるシーンがあると余裕を感じます。見ている人に安心感をあたえます。
パリは美食の町。パリがなければ、我々フランス料理人たちの世界的な発展はなかったでしょう。
パリは人類最大の文化遺産。
命をかけてヒットラーからパリを守り抜いた二人に感謝。素晴らしかった!
あまりに重いものを背負った相対する立場の二人に、友情に似た感情が芽生えた瞬間、胸が熱くなった!
世界の半分は失われたも同然…。
一瞬たりとも目が離せない緊張感から一転、屋上の解放感(文字通り解放の契機となる)と、そこから見えるパリの景色が脳裏に焼きつく。ああ、実にパリだ!
今の自分の在り方もずいぶんと違ったものになっていただろう。きっとそういうひとは世界中にいて、そうなると世界は俄然つまらないものになっていたに違いない。
私は映画監督になっていなかっただろう。15歳から10年間、最も多感な時期をそこで過ごした。ルイ・マル監督と出会い、助監督を始めたのもパリだ。私にとって運命の場所なんだ。
憎いほど愛してるパリを守ってくれて誠にメルシー!
犬のウンチを踏むこともなかったかと思うとさみしいです。
私は子供時代にシャイヨ宮の麓でサッカーをし、エッフェル塔に登り、セーヌ川沿いに何度もドライブをしてきました。
パリで育ち、パリに育てられただけに、この映画が語る歴史に感謝しています。
私は生まれなかったでしょうね。地方の優秀な高校生だった私の父はパリのエリート大学を夢見て、青春時代に南東グルノーブルから上京しました。母もパリで生まれ育ち、ヒトラーが破壊しようとした数々の世界遺産の麓で若い頃に遊んでいました。私はパリの文化シーンの中心にいたその両親の間で生まれ、この街が生んだ子、そう、きっすいのパリっ子なのです。
もし、パリがなかったら・・・・・・
私の人生の大切な時間が
失われていたでしょう。
永く住み、
オートクチュールの創作活動をつづけたパリ。
初めてコレクションを発表したのは、
二人の名優による駆け引きが行われた、
あのホテル ル・ムーリスでした。