vol.5 スクリプター 松澤一美さん

今回は監督の女房役といわれる『スクリプター(記録)』にインタビューしました。ところで皆さん、そもそも『スクリプター』という仕事を知っていらっしゃいますか。監督の横にぴったりと貼りつき、撮影行程の全てを把握し、管理・記録するスクリプターさん。女性の専門職と聞いていますが…さて。


※スクリプターは英語のscript(筆記、台本を書く)から派生した和製英語で、男社会であった当時の映画の世界には珍しい女性の専門職として既に確立されていた職種です。その後の戦争の影響で英語を使ってはいけない事になった為、『記録』と改名され、そのまま、戦後もそう呼ばれてきましたが、10年前に《協同組合》日本映画・テレビスクリプター協会が発足された事で、スクリプターの名前で統一される事になりました。

【最近の主な担当作品】
1994年『四十七人の刺客』
1995年『静かな生活』
1996年『スーパーの女』
1997年『マルタイの女』
2001年『大河の一滴』
2002年『化粧師』
2002年『命』
2003年『69』

 
まずは簡単に仕事の中味を紹介します 。スクリプターって本当にやる事がたくさんあるのです。
まずは【準備】。台本を読んでその台本がどのくらいの長さになるのか「時間(尺)」を出します。長い場合は監督に短くするよう提案もします。それから「衣裳合わせ」では、どんな衣裳を着るか、タバコは吸うか?時計やメガネは?設定が結婚しているなら指輪をしているか、など細かく決めて記録します。そして「美術打ち合わせ」で撮影の方法を話し合ったり、リハーサルにも立ち合います。

これで、やっと【撮影】クランクインです。まずは監督のコンテを把握し、スタッフに伝えなければいけません。それから「スクリプト用紙」という紙に1カットにつき一枚づつセリフや動き、秒数などを細かく記録し、編集の方法をその紙を介して編集部さんに伝達します。そして、皆さんよくご存知の「芝居のつながり」も見なければいけません。撮影はシーン順に撮るわけではなく、バラバラに撮るので、いつも前後の事を考えます。髪は耳にかけていたか、目線はどうか、その時コップを左右どちらの手でどう持ち、水をどのくらい飲んだか、走ってきたのなら息遣いを荒くするところからつなげたり、殴る動きからやってもらったり、"動き"や"セリフ"のテンションが自然につながるように配慮します。「歌」がある場合はあらかじめ録音した歌に合わせて唄う必要が出てきます。「つながり」と一口にいっても色々あるんです。その上、セリフが台本通りかもチェックしなければいけません。「音」についても理解していないとつながりません。勿論、出来あがった作品が長くなり過ぎないように時間の長さの管理もします。とにかくあらゆる事を予測しながら、編集のことを考え、全てが当たり前につながるように計算してゆきます。

そして【仕上げ】。編集に立ち合い、監督のやりたい事を編集マンに伝えます。アフレコで役者さんにセリフを話すタイミングを指示したりします。ダビング(音楽や効果音、セリフの整音など)の準備をし、最後の最後まで立ち合います。
さぁ、映画が出来あがりました。でも、それでもまだやる事があります。「完成台本」です。 撮影前の台本と出来あがった作品はセリフも内容も順番も変わっています。ですから副音声用や海外字幕用に正しいセリフや芝居、効果音、音楽などを書き入れた"目で見る映画の台本"を作らなければならないのです。

やっと全てが終りました。スクリプターは準備から仕上げまで監督と常に共に行動し、監督の日々のテンションも把握・理解した上で現場の全てに対処するので『監督の女房役』などといわれるのかもしれません。
さて、松澤さんのインタビュー開始 です。


松澤さん、スクリプターの仕事を主にまとめるとなんでしょうか

映画の現場でとられる「音」と「画」という沢山の素材の一つ一つに名前をつけて混乱が起きないように整理してゆく事だと思います。スクリプターは各パートへ正しい情報伝達をする『交通整理係り』も担っているでしょう。でも、やる事が本当に沢山あるので、一言ではまとめられないですね。

スクリプターになったキッカケは何ですか

高校の頃、すごく身体が弱かったんです。重度の貧血で、体力も全然なかった。進学校でしたが大学受験を乗り越えられる身体もないし、これからどうしようと考えていた時に、どこからか父が『記録(スクリプター)』の仕事を知って、私にすすめたんです。父は映画の現場がこれだけ過酷だと知らなかった。(笑)単純に、色々な事を整理してゆくスクリプターの仕事が、私の性格に向いていると思ったみたいです。それに高校の担任の先生が「大学の映画学科に行くより、現場に出るには実践に近い専門学校に行った方が働ける可能性が高いだろう」と、偶然にも生徒獲得の為に来ていた日活の学校の先生を紹介してくれました。そこから学院に入って、スクリプターの秋山先生に出会った事がキッカケです。

そんなに身体が弱かったんですか。そうは見えませんね。(笑)

最初は秋山先生にも、「あなたは体力的に映画には向いていないから、室内(サブブース)で仕事が出来るテレビの方がいい」と言われたんですが、何故か元気になってしまい、映画をやっています。(笑)当時は土のセットが多くて、すごく埃(ほこり)が舞ったんですよ。それがイヤでライティング待ちの時とかきれいな酸素を吸いたくて、外に出たりすると照明の矢部さんが大戸から、ひょっこり顔を覗かせて言うんです。「一美なぁ、この埃がイヤなんだろ。けどな、この埃が万病に効くんだよ」って。(笑)それがまんざらウソでもなくて"精神力"と"埃"の力でなんとかなったんですね。当時は、自分の仕事のことや責任感で一杯でしたから。極度の貧血持ちで車酔いも激しかったのに直ってしまった。親もびっくりでしたね。

でも、あの頃は本当に職人であり、芸術家だった撮影所のおじさん達に色々教えてもらえるいい環境でした。"撮影所のあったかさ"があったんですね。市川崑監督の『四十七人の刺客』の時に初めての時代劇、初めての東宝で時代劇の道具の名前も話している会話もわからない。それでがっかりと日活に戻ってきたら、装飾のガクさんが「一美、これで勉強しろぉ」と本を貸してくれたり。"頼れるところがある幸せ"がありましたね。だから面倒を見てもらった自分が、今は人にお返しをする番だと思っています。

現場で印象に残っていることはありますか

身体は丈夫になったんですけれど、ケガをよくしましたね。
丹沢の山で崖から、岩が落ちてきて、頭が割れて大量出血して大怪我をした事があります。現場で泣くのは最低だと思ったので、泣くのは我慢したけれど目を開けたら血の海。急いでお医者さんにいって手当てをしてもらいましたが、取りあえず記憶が繋がっているから大丈夫だろうとまた現場に戻って仕事を続けました。編集や仕上げも終った数週間後、まだ頭が痛かったので病院に行って調べてもらったところ、実は頭蓋骨も割れていたんです。その場でお医者さんに「走っちゃダメ」とか「即入院」とか一杯禁止事項を言われましたが、もう既に打ち上げでお酒は飲んでいるし、アフレコで徹夜はしているし、今更何言われても~っていう状態でした。
最近では"猿よけの紐"に引っかかって、すっ転んだ事もあります。スタッフがそれを"猿の罠に落ちた"と面白おかしく言いふらして、人を笑い者にしていたんですよ。(笑)

スクリプターとしての失敗はありますか

レストランで、カメラがグルグル360度回転して撮影するからスタッフは入れないという現場がありました。カメラが向こうを向いている時だけ顔を覗かせて断片的に見ていたんですけど、そういう時に限って何故か監督はカットインを撮りたがる。(笑)あの時ワイングラスは手に持っていたはずだけど、それが右手だったのか左手だったのか分らなくなってしまったんです。それで押さえで右手バージョン、左手バージョンの二通りで撮ってもらいました。後日、ラッシュを見たら、ワイングラスは持っていたんですけど、なんと両手で持ってたんです!!皆に「一美、ちょっと詰めが甘かったなぁ」と言われましたね。(笑)

そういう失敗はありますね。つながりでも役者さんに「こうしてください」とお願いして、その通りにやってもらえてほっと安心していざ本番!!「よ~いスタート…」で本番だけ手の場所がまた違うぅぅぅ!!と気付く。(笑)「NGになれ、NGになれ」と呪いのように祈ったり。

ありますね。本番のときに一人だけ後ろ向きのパワーをかけている時が。(笑)衣裳の上にやけに似合っている私物のコートを着ていたり…私物のマフラーやストールも危険です。「どうみても似合わないものを着といて頂けません?」とお願いしたくなっちゃいます。そのまま間違って本番にいってしまいそうになりますから。スクリプトのシートにも大きく「メガネ」とか「イヤリング」とか書いて自分で自分にチェックを促します。取りあえず何でもメモしとけ、と。悪気はないんですけれど、女優さんでもつなげた前髪や肩にかかる髪を監督の「よ~い」でバーと後ろに全部かきあげちゃう方とかもいますよね。(笑)

スクリプターにとって大切なことは何ですか

自分をコントロールし、客観的でいることでしょうか。集中力を使うので、個人的事情があっても仕事を最優先し、刻々と変わる撮影現場に対応しなければなりません。寒い、眠い、歯が痛い、助監督とケンカしたではやっていかれません。

スクリプターはほとんどが女性なので、女性の専門職のように言われていますが、男性でも出来ない訳ではないと思います。もしかすると始めは「このくらいなら女性でも出来るだろう」という考えから始まったのかもしれませんし。或いは女性はこういう細かい作業や事務的な記録が向いているだろうと軽く考えられていたところもあったかもしれません。ところが、スクリプターがどんどん実力と知恵をつけてゆき、プロデューサーやシナリオライターへ転向してゆく人が出てきたんだと思います。

当時のスクリプターは職業婦人であり、高給取りでエリートの女性がなれるものだったらしいですよね。映画界に知り合いがいるか、大学を出て一度先生をやってから転職してなった人もいたようですから。

監督との連携、演出、精神状態を含めて、細かいところまで行き届くようでなければいけないので、女性の方が持っていると言われる"人と育む・母性的なもの"、例えば「その人が何を考えているのか」「何を作りたいのか」じっと見て寄り添う、という部分は必要かもしれません。私にその母性的なものがあるかは別ですけれども。(笑)

伊丹十三監督はどんな方でしたか

映画の現現場は楽しかったですね。表の評判は神経質だと云う事もあって、大へんでしょうとか振りまわされてピリピリする現場なんでしょうと言う人も多かったんですが、一緒に仕事をする私達はとても楽しかったですね。皆で勉強しよう、新しいことを覚えよう、という感じがありました。「今回はカーチェイスを勉強しよう。じゃ、それにはどういうカットを撮るのが大事か」とか。それから伊丹監督には「何を考えているのかきちんと言いなさい」とも言われました。私が色んな事を考えているのに、言わずに閉まっている傾向があるから言えというんです。それで、"私は今何を考えている"という事を言うようにしてゆきました。例えば「いつもならここでアップを撮るのに、何故今日は撮らないのかを考えています」とか。(笑)

でも、一本目は喧嘩したんですよ。喧嘩っていうか、監督は大人ですから相手にしていなかったと思いますけれど。その時はアフレコで現場の時と違うセリフを言わせる監督のやり方に納得がいかなくて、顔にその不満がありありと出ていたんですね。録音の技師さんが「今日はもう監督と一緒にいるな。ナイターの撮影はいかないで編集室でリスト整理でもしていた方がいい。そうでないと大きな火種になるぞ」と言われ、ロケ隊のバスを見送り、編集室に駈け込んだら、監督がそこにいるんです!!「あっ、僕もナイター行かないんだよ」って。(笑)今ならばリップ(口)に合わない事を言わせたりするのも芝居やリズムを大事にするからこそだと分りますが、その時は口の動きと違うセリフに違和感を感じて"自分の仕事の恥になる"という気持ちがあったんです。でも、私の場合一本目で喧嘩する監督とは付き合いが長くなりましたね。

何か最後にメッセージをお願いします

スクリプターとしては勿論、優秀な新しい人がどんどん入って続いてくれるといいな、と思います。でも、それだけではなく、そろそろ女性監督でヒット作を連発するような人が出てきてもいいと思うんです。チャーミングで人気もある女性監督。そういう人に早く出てきてほしいですね。日本映画はもっと面白くなりそうだという気がしてます。ですから是非、映画館にいらっしゃってください。

「時(とき)」ってありますよね。国に例えてもそうですけれど、いつの時代も"女性が認められない"時代があって、"それと闘う"時を経て、やっと"自由"を手にする。そして今度は、それをどう育むか考え、初めて"新しい社会"が整ってゆく。早過ぎても、ダメですし。そういう意味では日本も女性の力が社会に認められる時代になってきたと思いますから、そろそろそういう女性監督が出てくるでしょうね。


インタビュー後記

実は、たまこも最近までずっとスクリプターをしていたので、その仕事のたいへんさがよ~く分かります。地味だけど、皆に頼られ、非常に"やりがい"のある仕事、メインスタッフとしても認知されている職種です。現場には助手さんもいないですし、全てが自分の腕一本ににかかっています。たいへんですけれど、楽しい事もたくさんあります。私の知っているスクリプターの方々は個性的でチャーミングな方が多いです。そして何より強いっ!!(笑)一美さんは、とっても小柄で華奢に見えるのですが、どっこいパワフルでカッコイイ、そしていつも「あっ」と唸りたくなる助言をくれる方です。


ほとんどの方が知らないスクリプターですので、今回は思いきって紹介させて頂きました。村上龍の『13歳のハローワーク』にも紹介されています。ご興味のある方、是非ご覧ください

スクリプト用紙・一例

台本は書きこみだらけ