vol.3 監督 田中光敏監督

今回は公開中の『精霊流し』の監督・田中光敏さんです。
12/13~テアトルタイムズスクエアで公開中!!全国上映劇場については精霊流しサイト


主にコマーシャル・テレビを製作。『化粧師』で映画監督デビュー。

【最近の主な担当作品】
2002年『化粧師』
2003年『精霊流し』

どうして映画監督になろうと思ったんですか

映画監督って、なろうとしてなれるものじゃなかったんですよねぇ。(笑)映画監督になりたいという夢は持っていたんですけれども中々思うとおりにはいかないという現実も大学を出る頃にありまして。でもやっぱり「自分で演出をしてみたい」「人間を描きたい」という気持ちがあったので電通映画社という会社に入ったんです。電通映画社で、2年アシスタントをし、その後、テレビマンユニオンコマーシャルで5年、テレビの仕事をしました。その時、のちに『化粧師(けわいし)』のエゲゼクティブプロデューサーをする事になった河端さんに何度も映画をやってみないか、と誘われたんですけれども、自分も30代後半でしたし、ものを作るたいへんさはコマーシャルやテレビを通して分っていましたから、映画を撮る"怖さ"があったんですね。それで3年ぐらい断り続けていたのですが、やっぱりやってみよう、と決めて初めて河端エゲゼクティブプロデューサーの元で撮ったのが『化粧師』だったんです。 

今回の『精霊流し』も『化粧師』も観ましたが、何か両方に共通する監督の思いというものを感じました。
「人というもの」とか「生きる」ことに対する希望とか

僕は北海道出身・神戸在住で阪神大震災の経験が強く残っているんです。それはすごく自分に大きな影響を与えました。『精霊流し』を撮る時に脚本の横田さんと約束していた事はただ一つ"死ぬシーンは作らない"という事でした。この映画は死んだ人の為のものではなく、これから生きてゆく人達のための映画にしたかったんです。"死"は日常の中の一つのさりげない存在として描ければいい、だからこの映画はそんな日々の当たり前の中に存在する"夕焼けみたいな映画"にしたいと思いました。夕焼けは人それぞれ見るものだけれど、その見方は皆違うでしょう。作品の中の「死」もその役の「死」としてではなく、自分の身近な人の「死」に重ねられるようにしたかった。限定しない余白を残したかったんです。見る人に託す部分を作った。だから出来るだけ説明的なセリフを取ってゆきました。

震災の時も色んな人がいたんですよ。ガソリンスタンドに何十台とガソリンを求めて並んだ車がいた時も、自分の車を満タンにしても、それでも更に必要以上に取ってゆこうとする人とか。だけど一方では雑貨屋さんのおばちゃんが「タダでいいです。持っていってください」と店のものを出してくれていたりね。倒れた家の下で子供をかばうようにして重なりながら亡くなっていった人も沢山いましたし、逆に自分だけ助かろうとして一人で逃げて離婚した人も多いんですよ。震災という一つのきっかけで人生が変わったりね。「俺だけ」という人を震災で沢山見たけれど、それとはまったく逆に人間のあったかさも沢山見た。だから僕自身「人間を信じたい」し「人は本来あったかい」そう思いたいんですよね。

小泉八雲が死ぬ時に友達の小説家に手紙を書いたらしいです。「日本は四季があって、人々は自然と上手に向き合って生きている。それが日本の素晴らしいところなんだ」と。僕達はもっと自然と向き合わなければいけないんじゃないかと思いますね。

映画って本当に人に影響を与えることが出来るものですよね。私もこういう殺伐とした時だからこそ希望というか、何か「生きることは悪くない」と見た人に感じてもらえるような作品を作りたいと思います。

人は一人じゃない。誰がが必ず誰かの事を思っているんだし、誰かのことを思って生きるべきだと思いますね。

一番好きなシーンはどれですか

う~ん。(笑)入れたかったのは髪を洗うシーンですし、原作を読んでどう撮ろうか考えたのはバラのシーンですね。命って受け継がれて育ててゆけば、力強い。命あるものが大きくふくらんでゆく可能性を見せたかった。「自然を背負う」感じ、「自然の大きさ」を見せたかったですね。病院の庭の大きな木の前でのシーンも本当はもっともっとロングで引いて撮りたかったんです。木(自然)がすっぽり二人を包んでしまうぐらいに。人間が所詮小さいという事が分るようにしたかった。二人で手をつないでも一周出来ないぐらい太い幹もいい。だけどロケ先の長崎は雨ばっかりで、スケジュールの事を考えるとホント胃が痛くなりましたよ。(笑)

だけど、あのなが回しのカット一つで人生を感じさせてくれました。あの中で天気が晴れたり曇ったりしていますよね

そうなんですよ。ああいうのがいいんですねぇ。

松坂さんの「自分の心に正直に生きていれば苦しい事もある。だけど決して不幸にはならない」というセリフが印象に残っています。

あの木の下で話すせりふは実は原爆資料館の子供の作文の中からかき集めてきたんです。だから資料館から出てきてすぐに書いたものなんかは「原爆悪しっ!!」なんて感じそのまんまの文章になってしまってね。直しました。(笑)この映画はそういう事をストレートに伝えたいものではなくて「愛」を通して色んな事を感じてもらえればいいものですから。
だけど、人を勇気付けたり、一歩進むキッカケを与える言葉ってあんまり難しいものじゃないですよね。シンプルなものだと思います。この映画は長崎が舞台ですが、長崎固有の話しではないんです。日本人ならば誰もが持っている、例えばお盆とかお正月に皆で集まって話をするみたいに人と人がつながってゆくというものです。

ところで映画とコマーシャルは違いますか

違いますねぇ。コマーシャルは「瞬発力」のものというか、パーッと集まってその瞬間燃焼するものですけど、映画は「一緒に作ってゆく」モチベーションとかコミュニケーションを凝縮していって出来るもの…タイミングや歯車があって、皆をのっけてゆかなければいけないですし。…映画っていいですよねぇ。(笑)このスタッフで良かった、このスタッフでなければ出来なかった、と本当に思っています。

映画の現場は『生き物』という気がしますね。最後に日活.COMを見てくださっている方にメッセージをお願いします

『精霊流し』が本当に一寸だけ前向きになれて、ちょっとだけ元気になれる、そういうキッカケになったら嬉しいですね。そして「自分の気持ちに正直に生きる、本当にやりたい事をやれ!!」そう思っています。夢は絶対に捨てないでほしい。夢は叶うものなんです。叶うまで諦めない事が大切だという事を伝えたい。

70歳を過ぎた京大の山岳部の人たちが夢であった中国の崑崙(コンロン)という6000メートル級の山に挑戦した事があります。その時、何度も何度も地図上でイメージトレーニングをして、いざ本番に挑みました。現実は勿論厳しいものでしたが、ついに登頂に成功し、その山の上で語った言葉がいいんです。「右足一歩、左足一歩。交互に前に出すと必ず頂上にたどりつくんだ」と。一歩を踏み出すことをやめない、諦めない。それが大事なんです。『言霊(ことだま)』ってありますよね。言葉にはたましいがある。いい事を口にして、夢を持てば必ず実現するってね。

インタビュー後記

インタビューを通して感じた田中監督は「とても暖かい人間としての体温がある方」でした。監督が公の場でお話をされているのは何度か見たことがあり、その話が上手なことは知っていたのですが、実際にお会いしますと、監督の「人間性」がもっと強く伝わります。でも、それは決して熱く、かっかとした押しつけがましいものとは違い、包み込むとか、全てを受け入れるというような「懐の深さ」を感じさせるものでした。一貫して私達に伝えたいことが、はっきりと分りました。「生きることの良さ」を見つめてほしいと言われている気がします。一生懸命生きることを恥ずかしがらないで、まっすぐ誠実に生きる事が大切だと思いました。

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