vol.18 コーディネーター 堺谷みゆきさん

さて、今回は「コーディネーター」の堺谷さんにインタビューしました。堺谷さんはイタリア語、フランス語、英語を自由に操る事が出来るのです。う、羨ましい…。
苦しい現場を経験し精神的に「自由」になれた部分が出来たこと、「言葉は道具」など、とっても参考になる言葉を聞く事が出来て、元気ももらっちゃいました。


【略歴】
1987年、渡欧。パリを拠点とし、主にフランス・イタリアのロケ・コーディネーターとして映像製作に関わる。 1993年帰国後、演出・脚本にも着手、現在ジャンルを問わず幅広く映像作品を製作。

2004「グラッジ」清水崇監督
2003「マナに抱かれて」井坂聡監督
2002「スパイ・ゾルゲ」篠田正浩監督
2001「LEXX」イギリス・カナダ合作TV映画シリーズ 
2001「冷静と情熱のあいだ」中江功監督
2000「世にも奇妙な物語 映画の特別編 チェス」 
1999「週刊バビロン」山城新伍監督
1999「ナイル」和泉聖治監督
1997「BANZAI」カルロ・バンジーナ監督
1993「レッスン」長谷部安春監督
1991「MR.ベースボール」フレッド・スケピシ監督

【演出】 
2000「シネマの予感」「モードTV・MUJI的生活」
1998「ポシュレ・ワールド」オープニング&エンディング
1996「極楽イタリアーノの食卓」前後編各2時間 
1995「95マウンテンバイク世界選手権」90分
   「ワールドカップ・ピスト」2時間
1994「BITE IT RIGHT」※エイズをテーマとした短編コメディ16mm作品 3'30"(自主制作)
(俳優座トーキーナイトにて上映他、伊、豪のTVにて放映。ゆうばり国際映画祭、ブリュッセル国際映画祭、フランス女性映画祭、シンガポール国際映画祭等招待作品)

コーディネーターの仕事について教えてください

「コーディネーター」と呼ぶと幅が広いですよね。「フードコーディネーター」も「スタントコーディネーター」も「コーディネーター」ですし。私の場合は映画やテレビ、コマーシャルなどのコーディネートを主にやっています。

映画に関して言えば、日本映画が海外ロケを行ったり、海外の作品が日本で撮影する際のロケ・コーディネーターであり、海外と日本との製作体制の違いを埋める立場にいると思っています。2国間の「橋渡し」…「潤滑油的存在」と申しますか。

映画のコーディネーターは、アメリカでは「プロダクションコーディネーター」と呼ばれていて、日本でいう「製作デスク」的なこと…例えばホテルやフライト、車輛の手配、契約書や日々の撮影レポートなど、書類の管理をしています。オフィスでする仕事も多いからか、アメリカでは女性も多いんですよ。年を取ってからも続けられるので、何十年もやっていらっしゃるベテランの方も大勢いましたね。日本ではもう少し曖昧で「ロケーションマネージャー」と「製作担当」を足した仕事に近いですね。監督の現場通訳をする事もありますし。

どうして、映画のコーディネートの仕事をするようになったんですか

25,6歳の時にパリで放浪生活をしていたんです。1年もしてお金がなくなってしまった時に、NHKテレビの通訳兼、コーディネートの仕事をする事になったんですね。それがきっかけでパリのコーディネート会社でCMやTVのロケコーディネーターをするうちに、日本の制作の方が「次は日本でアメリカとの合作映画が入るから」と声を掛けてくれました。それが高倉健さんが出演した『ミスター・ベースボール』でした。

確か大学はイタリア語専攻でしたよね。なんでまたパリで放浪していたんですか(笑)

外語大の時に交換留学制度があって、イタリアのナポリに行く事が出来たんですよ。でもナポリは田舎だからって皆行きたがらない。私は「はい、行きま~す」と(笑)。そこでの1年間はほとんど遊んで終っちゃいましたね。その後、卒業で日本に戻ってきたんですが、今度は何をしようかと考えて、丁度その頃フランス映画に憧れていたものですから、今度はパリに行こうと思ったんです。映画が好きでしたし、大学の頃ってゴダールやトリフォーに憧れたりするもんなんですよね。

3ヶ国語も話せるなんて羨ましいです。英語だけより幅が広がりますよね。イタリア語、フランス語は分かりましたが英語はどうやって学んだんですか

英語は高校までにやったものと後はパリに住んでいた時に知り合ったアメリカ人やイギリス人と接して実践で覚えていきました。あとは仕事の現場で専門用語とか学んだり。もともと語学は好きだったかもしれません。フランス語とイタリア語は似ているんですよ。どちらもラテン系ですし。

仕事での失敗はありますか

昔、イタリアでホテルとタイアップしたい事があったんですね。監督が外からそのホテルを見て「いいね」と言ってそのまま日本に帰っていきました。私はろくに部屋も見ずに交渉してしまい、安くタイアップする事が出来たんです。それでクルー全員がそこに泊まる事になったんですが、蓋をあけてみたら、すごく部屋がみすぼらしくて、ノミも出る事が分かった。有名な女優のYさんにホテルを変えてほしいと言われたんですが、その年は丁度キリスト生誕2000年でローマは何処もホテルが空いていない状態だったんですね。最後にはどうにかFテレビの力でYさんだけホテルを変えられたのですが、スタッフは相変わらずノミホテルに滞在して。監督もスタッフもアシスタントプロデューサーに文句を言っていましたが、肩身狭かったですよ。(笑)

今は国際化ブームと言われていますが、日本でのコーディネートの仕事は増えていますか

そんなには変わらないと思います。最近は『ラスト・サムライ』や『ロスト・イン・トランスレーション』などの映画がヒットしたので、日本ラッシュのように見えますが、それも本当にここ1,2年の事だと思います。日本で撮るのは非常にコストがかかりますし、どちらかと言えば撮影もしにくい国だと思います。

アメリカでは映画はビジネスとして成り立っているし、フランスなどは文化として認知度が高いので、政府の助成金も出ます。またロケの際に警察の協力を得ることもできるので(もちろんお金を払いますが)、安全にスムーズに撮影を進められます。その辺の状況は日本でも最近変わってきているように思いますが、まだ撮影場所もお願いして撮らせてもらっているという感じのところがあります。ですから日本の映画製作はまだ恵まれた環境にあるとはいえません。でも、この日本ブームがきっかけになって映画産業がもっと元気になっていけばいいと思います。

コーディネーターに向いている人はどんな人でしょう?
なりたい人はどうやったらなれますか

あっけらか~んとしている人ですかねぇ(笑)。適当に真面目で適当にいい加減。感情的なものに左右されない冷静さは必要だと思います。例えば何かトラブルに巻き込まれて責められた時も、私という「個人(人格)」を責められている訳ではないと自覚すること、個人的問題として捉えない事ですね。二つの国の間で「どっちの味方なの?」と聞かれて板ばさみになり苦しい事もありますが、そうではなくていつでも自分が『外交官』にならなければいけないと思います。ポジティブに上手くまとめる。10数年やってきて、最近ようやくそのことがわかってきた気がします。でも実行するのはやはり難しいですけれど。

だいたいそのまま訳すと角が立つ事がよくあるんですよ。「Aが悪い。Aのせいだ」と言っている時、そのまま伝えても解決しない事はよくあります。責任問題に発展する場合は勿論そのまま訳しますが、そうでない場合は間を上手く取りまとめる。でも、フォローしたことがかえって良くない時もありますし…色々ですね。

国によって性格気質の違いみたいなものはありますか

ありますよ。(笑)アメリカ人は日本人的でよく働きますね。同じスピード感覚で仕事が出来ます。だから仕事は一番やりやすいかな。でも、ユニオンも強いですし、お金の面はしっかりしているので、特に普通の商業映画では、時間外はノーギャラでは絶対に働かない。それでも働く時はインディペンデントだったりと、何か違うモチベーションがある時ですね。 アメリカは「契約・弁護士社会」ですからジョブディスクリプションで、既に仕事の内容がきちん明確に決まっているんです。ちょっと極端なところもありますけれどね。

イタリアも同じようにユニオンは強いです。時間にうるさいくせに、あんまり働かない人ばっかり。(笑)基本的に何でもスローで、日本人の2倍は時間がかかりますね。でも、個人プレーが上手いので、アメリカで現在活躍する美術監督や撮影監督などはイタリア系の方も多いんですよ。やっぱりアートの国だな、と思います。

フランスは日本とイタリアの間という感じです。しゃきしゃきと働きますが食事時間などをきちんと取らないと怒りますね。昼間から「ワインを出して」とか。(笑)イタリアもそうですが、向こうの方は「生活」を優先しているんです。日本は「仕事」が優先、撮り切るためならご飯の時間を削ったりするでしょう?向こうの方は「お金ないならやめようよ」という考え方なんです。

今後やってみたい事はありますか

小規模でもいいので、自分で映画をプロデュースしたいです。それが合作もので、自分が今までに知り合えた色々な才能をかき集めて出来たら更にいいですね。今は自分で企画を書いたり、お金をどう集めるか考えたりしています。つい書く事が全てになってしまい、自己完結してしまう事もあるので、《書きながら動いてゆく》ようにしなければいけないと思って。今までコーディネートの仕事をして、色んな方に知り合えたり、中々いけないところに行けたり、海外にも生涯の仕事の友人が出来たり…色々楽しかったです。でも今度は人の作品を支えるだけではなくて、次のステップに進みたいと思います。企画を書き、お金をどう集めるか考える事は、技術だけでは出来ないと思うんです。“能力”も”運”も“持っているエネルギー”も含めて出資する人の心を動かすプラスアルファーが必要だと思います。今までは“語学を道具”として仕事をする事が出来ました。でも語学が出来るからすごい訳ではなくて、撮影部の人がカメラに詳しいのと同じ一つの道具だと思っています。

最後にメッセージをお願いします

映画作りは楽しんでやりたいな、と思います。映画作りという《仕事》をしている時間も「人生の一部」なんですよね。作っている時はつい打ちこんでしまい、それが全てになりますが、それでもそれ自体を楽しみたいと思います。全てが私生活の一部なんですから。最近よく思うのですが、自分の人生を大切にしたい、という事です。

堺谷さんの性格も3ヶ国がよい加減に混ざるようになったのかもしれませんね。人生を大切にする…大事な事ですよね。有り難うございました。


インタビュー後記

堺谷さん、きっとこのインタビューが掲載される頃にはまた放浪の旅に出ていらっしゃる事でしょう…。(必ず戻ってきてくださいね!!)

実はたまこは超マイナーなドイツ語を勉強しています。やってもやっても終わりがありません。人にも「まだやってるの?」と痛いところをつかれます。(頭悪いのよぉ…)だから「言葉は道具」というのも、とってもよく理解出来ます。違う世界の人とお話が通じた時、私はすごく嬉しい!!だから今日もジミ~に単語とにらめっこ…ホ・ン・ト、コツコツに勝る道はなし!!と信じています。いつか花開くために。

映画『ナイル』の撮影でエジプトのカイロの砂漠にいらっしゃったそう。砂で肺もやられてしまい、咳きが止まらなくなったそうです。でも、中々行かれない場所にいけるのも撮影の醍醐味なんですよね。(※左・しゃがんでいるのが堺谷さん。)