vol.1 カメラマン 柳島克己さん

岐阜県出身

【最近の主な担当作品】
1993年「空がこんなに青いわけがない」
2001年「バトル・ロワイヤル」
2001年「GO」
2003年「魔界転生」
2003年「座頭市」

映画のカメラマンってどういう仕事なんですか

僕らは「撮影部」と言って、だいたい4~5人で1チームを組んでいます。一番下がサードアシスタントと言って、カメラにフィルムをつめたり、フィルムの管理をしているんです。それからピントマンと呼ばれるセカンドがいるんですね。映画の場合、カメラマンがピントを送る訳ではなくてセカンドが送っています。それからカメラマンの意向を聞いて、照明部とライティングの話をしたりしながら、「絞り」(明かり)のコントロールをするのがチーフの仕事。そしてカメラマンは、監督が撮りたい画を表現するのに照明部や美術部と話をして、それを具体化するんです。人によるので一概には言えませんがサードからカメラマンになるまでだいたい10年ぐらいかかります。僕の場合は…キャメラマンになって17年目に入りました。

海外もそういうシステムなんですか

いえ、撮影アシスタントからカメラマンになってゆくというのは、非常に日本的というか…アメリカやイギリス、欧米などは違いますね。日本はサード⇒セカンド⇒チーフとステップアップして、最終的にカメラマンになるのが目標ですけれど、欧米ではピントマンはずっとピントマンのままとか、もう既にそれが一つの職業として成り立っているんですね。例えばフィルム装填は装填するだけが仕事とか。

そう言えばアメリカで『Brother』を撮影された時も年上のアシスタントが就いたとか

そうそう…(笑)自分よりも年上のピントマンだったんですが、老眼鏡がないとピントが送れないんです。だから「そのうちピント送れなくなっちゃうぞ~」なんて笑ったりしていました。でも本人は別にカメラマンになろうとしている訳じゃない。それに欧米では、日本のような照明技師というのも存在しないんですよね。「DP(撮影監督システム)」と言って、カメラマンが照明に関しても決めて、全て指示を出すんです。オペレーター(カメラを操作をする人)は、別にいるので、向こうの撮影監督は「パンが上手い」とか「ズームがいい」とかいう評価はないんです。その辺が日本との大きな違いですね。それに、向こうでは撮影監督の人は照明や美術出身の人も多く、多分にアート的な仕事で、カメラマンが最終ゴールというのではなく、実際は監督になる通過点という人も多いようです。海外では、学生映画でもいい作品を撮ったとすれば、いきなり監督にもなれるし、いきなりカメラマンにもなれるんですよ。

柳島さんは、文化庁の海外研修でイギリスにもいらっしゃっていたんですよね

最近は海外で映画の勉強をしている日本人も多いですね。だけど、これからは日本にいても言葉の問題さえクリアーに出来れば、チャンスが出てくる、という気がしています。続けてさえいれば。僕の知り合いでもイギリスのアートスクールに通っていた女性がいます。自分で撮ったものがカンヌで賞をもらったので、BBCで今度はドキュメントを取ったんです。そしたら、それも新人賞を取ってしまって。次はハリウッドで撮るそうです。「映画」の幅は広いですし、そんな風にして映像の可能性は、今後もっとさぐれるようになると思います。映画のカメラは重いから女性にハンデはあるかもしれませんが、最近は女性も本当に増えてきました。カメラマンになってしまえば、カメラを担がなくていいですし。続ける事のすごさってあると思うんです。

なるほど。ところで、この世界に入ったきっかけは?

本当に偶然でした。(笑)僕はスチール写真をやりたくて、その頃、そういう学校に通っていたんです。そしたら、映画の演出に進みたい友達がいて、三船プロに電話したんですよ。「演出部はいらないけれど、撮影部なら欲しい」と言われて、「じゃ、お前行ってみたら」という事で、行きました。その時ちょうど撮影部のアシスタントがぎっくり腰になってしまって欠員が出たんです。だから、その人がぎっくり腰になっていなかったら、僕も撮影部に入っていたか分かりません。(笑)それに、入って3日目に思いっきり寝坊をしてしまって、そのまま行かなかったんですよ。そしたら当時、電話がなかったので電報が届きました。「至急電話されたし」って。

だけど、写真と映画は似て非なるもので、すごく興味を持ちました。その頃、三船プロの中に黒澤監督とかもいて。黒澤プロダクションが出来る前です。黒澤明さん、市川崑さん、小林正樹さん、木下恵介さんで作っている「四騎の会」というのがあって、黒澤さんがよくティールームでお茶してたりしてね。三船さんも世界の映画に出ていたので、スピルバーグやコッポラ、アランドロン、キャンディス・バーゲンなどが時々来ていたんです。何かそういうところに広がりを感じて、この世界にいたい、という気持ちが生まれました。結局接点はなかったんですけれど。(笑)


今までで何か大きな失敗とか印象に残っている事はありますか

アシスタントの時は『最低の助手』と言われ続けていました。(笑)カメラを倒してしまったり、撮影したフィルムを入れておいた缶を開けて感光させてダメにしてしまったり。だけど、三船プロは本当にアットホームなところで、勿論怒られましたけれど、「同じ失敗は2度とするな」と言われながらも許してくれましたね。役者さんもそういう感じでした。この前、京都に行ったら、撮影所の食堂で肩を叩く人がいたんですよ。振りかえったら水戸黄門様。里見浩太郎さんで「ジミー、あのお前もついにカメラマンか」と。
それから印象に残っているのは深作監督のカリスマ性やパワーですね。『バトルロワイヤル』ではカメラマンでしたが『里見八犬伝』では、まだアシスタントで、だいたい夜中の2,3時に終るんですが、夜中12時ぐらい、早くに終ると祇園に遊びにいって、すっからかんになったりしてね。後は北野監督との『3-4x10月』も思い出深いです。その頃ひどい腰痛にかかってしまい、一ヶ月ぐらい入院してしまったんです。足がずっとしびれて「もう仕事が出来ないんじゃないか」と思ったりして。そんな時に声が掛かって、そういう人と人の出会いみたいな不思議さを感じました。北野監督もテレビで見るようにいつも面白い事を言う人だと思って、僕はコミュニケーションを取ろうとギャグばっかり言って。だけど、監督は全然相手にしてくれないんです。うるさいなぁって言う感じで。あとでそういうのが好きじゃないと分かったんですが。

でも、本当に人と人の出会いの面白さを思いますよ。結婚でも「この二人はどう見ても似合わないだろう」ってあるじゃないですか。でも何故か不似合いなのに上手くいっているカップルっていますよね。「映画」も「人」との出会いもそれと同じかな、と思います。いつもベッタリがいいとも限らない。

それから香港の九龍(クーロン)にある阿片窟に行った事も忘れられない経験です。一般の人は入れない危険なところで、クモの巣のような迷路の路地になっていて、あちこちに麻薬患者や中国のすごい入れ墨をしている人がいてね。元いた所に戻りたくても迷路の中で迷ってしまって、戻れないし、「もう危ないっ!」という時に、そこを仕切っている人が来てくれて。助かった事がありました。

大切に考えていることはどんな事ですか

「好奇心」、色んな事に興味を持つ、という事ですね。いつも何か楽しくしていたい、面白い事を考えていたいんです。それから人と人の出会いの面白さ、大切さですね。ちょっとした事がどんどんまわってゆく不思議さみたいなものがあると思うんです。あとは何度も言いましたが「継続は力」ということ。すぐに結果を求めないで、続けてゆく、そうするとチャンスは来る、そういう風に思います。

写真に綺麗に写るコツはありますか?それから家庭用ビデオで上手に撮るコツも教えてください

みんな「正面」で撮り過ぎていると思います。人間の顔って、正面が一番のっぺりしていて表情が出にくいんです。だから少し斜めから撮る、そしてもっと近寄るといいと思います。光も考えて、順光だけでなく、半分逆光を使ったりしてね。最初は失敗しても、やってゆくうちにだんだん上手になってゆきますから。ビデオの場合は、パンとかズームをもっとゆっくりやるといいかもしれません。その道中も撮るぐらいのつもりでゆっくりね。

最後にnikkatsu.comを読んで下さっている皆様にメッセージをお願いします

やっぱり映画に興味を持ってもらえると嬉しいですね。だから、このインタビューが小さな事でも何かのきっかけになれたらいい、と思います。質問してもらえたりね。映画って答えのないものですし、これで完璧!!というのも存在しないと思うんです。だから、何か反応や同意や考えている事がお客さんから伝わると励みになりますしね。

インタビュー後記

数多くいる映画スタッフの中でも、何故カメラマンの柳島さんにこの連載のトップに登場して頂いたかといえば、それはその人間性が素敵だと訊いていたからです。スタッフ皆に『ジミーさん』と呼ばれ、親しまれている柳島さん。噂にたがわず、少年のような感性を持った方で、 その柔らかい人柄で自然に楽しく現場を仕切っていらっしゃるのだろう、と想像する事が出来ました。