野良猫ロック|関係者インタビュー
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関係者インタビュー 日活ニューアクションを語る

 

 

 

 

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藤 竜也

──『野獣を消せ』について。

藤 これはね、たまたま製作部かどこかに台本が無造作に置いてあったんですよ。それを盗み読みしてね、これはどうしても出させてもらいたいって。インスピレーションに近いものがありましてね。矢田という役をやりたいんだと周囲に盛んに公言しましてね。それが誰かに届いたのか、やらせてもらえたんですよ。当時としては綿密に演技プランを作りまして、長谷部監督にお見せして。何回笑って、どのくらいの角度で口を開けてとか、どういうワケだか“笑い”というものにこだわりましてね。役の男と通じ合うものが何かあったんでしょうね。

──それが『女番長 野良猫ロック』の勝也というキャラにつながっていくと。

藤 そうですね。『野獣を消せ』からあのキャラが出発して「野良猫ロック」を通して続いていった気がします。

──監督とは当時からおつき合いは?

藤 当時はよくしましたね。一緒に映画観たりね。あれは丁度日活が閉鎖するちょい前かな、ニューポートのジャズ・フェスティバルへね、長谷部さんがジャズに造詣が深くて僕もその影響でジャズが好きになりまして、2人で行ったんですよ。その帰りの飛行機の中で、雑誌でね「日活撮影所閉鎖」ってニュース読んで……(笑)。これはヘンなときに行っちゃったなと思って(笑)。でも、そのとき初めてニューヨークという街をね……僕が28歳ぐらいですかね……アメリカというところ空気を吸ったわけですよ。

──藤田敏八監督というのはどういう監督さんでした?

藤 掴みどころなかったですね(笑)。でも、掴みどころが無いってのは、僕の持ってない感性、僕の理解を越える感性、あるいは表現したいものってのがあったわけです。

──藤田監督と作品についての話とかはなされたんですか?

藤 僕ら映画出の人間てのは、ディスカッションはまったくしませんでした。役作りや映画のテーマとかそういうことは一切話さないのが慣わしみたいなものでね。

──長谷部・藤田両監督共、日活では後発の監督ですが、それまでの監督とスターさんとの関係とは違ってましたか?

藤 違いましたね。

──そこで、やはり藤さんたちの世代との共闘関係というか意識みたいなのはかなりあったんですか?

藤 そうかもしれませんね。確かに石原・小林を中心とした黄金時代の人たちと我々後発の者では、ある種のギャップみたいなものがありました。

──当時は1本をどれくらいの期間で撮影されてたんですか?

藤 20日くらいだと思います。当時としても短期間で、末期のバカ力といいますかね。「野良猫ロック」って結局、作った当時は(客が)入ったわけじゃないんですよ。入ってりゃ日活ももうちょっと長生きしたでしょうし(笑)。かつてのスターたちは活路を求めて外へ出て行って、僕らこれからという人間にチャンスが与えられた、というね。確かにひとつの日活という時代の終わりであり、そしてそこに関わった人たちの新たな出発だった、ということなんでしょうね。

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原田芳雄

──原田さんが日活に来るきっかけとなった『反逆のメロディー』ですが、これに出るいきさつは?

原田 僕はその当時、俳優座という劇団にいましてね。ほとんど映画に関心なかったんですよ。70年ですから、演劇界も大きな変り目に来てましてね。唐さん、早稲田小劇場、寺山さん、現代人劇場があって、僕らの同期性が自由劇場を作ってるというね。そういった影響をモロに受けてたもんですから、映画どころじゃなかったんですよ。それで俳優座の方に映画の話が来て、1度お断りしたんですけど、2度目に来たとき、当時の我々のファッションは、もうGパンの上下でね、映画のシナリオはある種ヤクザ映画でね。これ言ったら諦めてくれるだろうって「このGパン上下のまんまで撮影してくれんなら」って言ったんですよ。そしたら「どうぞ」って。それで引っ込みつかなくなってやったのが最初なんですよ。

――原田さんの役はわりとオーソドックスですね。

原田 当時、70年の真最中だったもんですから、世の中も騒然としてますし、我々もそういう空気かぶってワイワイやってるほうでしたからね。このぐらいのプログラムピクチャーって7日×3週=21日間って決ってたわけですよ。でもその中にね、デモのスケジュールが入ってんですよ。

――ロケ・スケジュールの中にデモの予定が?

原田 いちばんショックを受けたのは、それまで自分が俳優座でやってたひとつのカテゴリーみたいなものが、ぜんぜん通用しないってのが非常にショックだったですね。と同時に自分のそれまでの殻をぶち壊すのにこんなにいい現場はない、と。シーン・ナンバーはあるけどセリフがないとかね。起ること、そして周囲で起ったことが、そのまま現場に影響を与えてくる。いちばん大きかったのが、ラストシーン間近に瀬戸内海でシージャック事件が起きて犯人がライフル隊に射殺されるのをTVが実況してて、みんなものすごく衝撃を受けましたね。それで映画のラストシーンも即日変ったんですよ。もうコレで行きたいって。衣装部は徹夜でライフル隊の衣装作って、それであのラストになったんですよ。

――それじゃ、定形のヤクザ映画フォーマットのシナリオに乗っとりながら、実は現場で、いろいろみんなで変えてったってことですか。

原田 そうです。だからその当時のそういう状況の中での日活のスタッフに出会ったってことは自分にとってすごい幸運だったと思いました。

――そして次が、藤田監督との出会いとなる『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ!』ですが、藤田監督っていうのはいかがだったでしょう。

原田 沢田さんに輪をかけて決まらないんですよ。現場で何ひとつ決まらない。常にみんなでこね回しながら作ってく形で……これなんかも、主演が渡さんで、だから楽だったのは渡さんという時代の中の兄がいたんですよ。だから自分は弟のポジションで、何でもかんでもヤンチャできたんですよ。そのことがあの映画の中で自分にとってはいちばん印象的でしたね。

――クライマックスの対決の後ヘリで逃走しますが、あれが犯罪者必罰のルールとか、アウトローは死ぬとかいう日活アクションのセオリーから外れてて自由なラストだったと思うんですが。

原田 そう、どこ行くかわかんないんですよ。でも要するにここじゃないどこかってのがあって、みんなやっぱりそういうものをほしがってた。ただ、どこへ行くんじゃないんですよ。ここじゃないどこかがあるはず。だから非常に不安定なんですよ。ひょっとしたら落ちてるかもしれない。そこがまた新宿の空なんですよね、そこへ消えていくわけです。

――『野良猫ロック 暴走集団'71』への出演は会社からのオファーで?

原田 ええ、でもその時は藤田さんとの関係が一気に深まってましたんで、現場以外でも三日にあけず、飲んだり喰ったりしてましたし。その年が最後の1年であるということはみんな認識してましたから。これがシリーズ最後だってことも知ってましたし、やらないかと言われて、もちろんと。

――前半は今までの「野良猫ロック」のアンチというか、野良猫集団とは違う世代ですよね。

原田 そうですね。ビートニクがヒッピーに移行して、丁度新宿の東口の噴水にみんな24時間居るわけですよ。まさに『野良猫ロック』の集団そのものなんですよ。そういう意味じゃ拮抗した部分ってのはありますよね。

――不思議なのは日活というアクション王国のプログラムピクチャーの中のパターンとして切磋琢磨されたパターンが行きつくところまで行って生まれた『野良猫ロック』が、そのプログラムピクチャーからどんどん逸脱して、俳優やスタッフたちの思いを具現していくフィルムに変わっていくってのが興味深いですよね。

原田 それは映画というものだけじゃなくてあらゆる場所でそれに近いことが起ってたんだと思います。

――そうするとこの『暴走集団'71』のは最終作でありながら、何かの出発点だったと?

原田 出発点だったといいますか、時分の中に大きな宿題を抱え込んでる、そういう感じはありましたね。

 

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長谷部安春監督

──『女番長 野良猫ロック』に主演の和田アキ子について。

長谷部 とりあえず和田アキ子ものを、という企画でホリプロに外注するということでした。そこへ日活の若い女優をからめるというのが製作の主眼だったんです。和田さんもそういうような売り方だったし、日活の方も「不良少女」ものみたいなのはどうだ、ということでしたね。

──脚本の永原秀一さんは監督の起用ですか?

長谷部 そうですね。『女番長 野良猫ロック』の前の『野獣を消せ』で一緒にやってまして、「面白いもんやろうよ」と話はしてたんですよ。で。「野良猫ロック」の企画が来たときに、会社へ永原でやらせてくれ、と。

──では脚本はお二人で?

長谷部 そうでしたね。丁度「よど号事件」のあった頃でね、2カ月くらいかかりました。

──オプチカルについて。

長谷部 製作はホリプロといっても「ホリ企画」が主体で、そこは劇映画は初めてだけれどもCMは多くやってて、オプチカルが自由に使えるからなるべく使ってくれ、ということで。今のビデオなら雑作もないことでしょうが、当時のフィルムでは時間もお金もかかるから日活ではなかなかできなかったから喜んでやったんだけれども、上手くいった部分といかなかった部分がありますね。

──バイオレンスの衝動について。

長谷部 バイオレンスって、どうも後から言われ出したたんで……まぁ「アクション映画」が面白いとは思ってましたね。だから、男と女が抱き合うよりは、男と男が殴り合ってる方が面白いし、銃撃ち合ってる方が面白い(笑)。だから指向というより嗜好だろうと思うんですけどね。

──悪役をヤクザじゃなく右翼にしたのは?

長谷部 丁度「盾の会」が始まった頃じゃないですかね。僕も永原もそうですけど、ある種の意図を持ってやるというより、世の中の方が面白いということの結果だろうと思うんだけど。僕は意図的に映画を作るってことが好きじゃないんですね。だから、そういう設定でどう面白くなるか、ということだったんだろうと思います。永原も同じ考えでしたね。

──「野良猫ロック」シリーズでは今までの映画とは男女の立場が逆転してて、男の弱さが強調されていて、女の強さ、自由さ、タフさが出ているような気がします。

長谷部 それはやっぱり、テーマというか女の子ものというつもりで作ってますから。

──ラストシーンは「渡り鳥」ですね?

長谷部 そうですね。そういう感じってのは、なんとなく日活的なんじゃないですか?(笑)

──『〜セックス・ハンター』ですが、元々は違う企画だったとか?

長谷部 そうですね。「夜の最前線」ってシリーズ、それだったんですね。いきさつはハッキリ覚えてないけど。

──出演した安岡力也さんについて。

長谷部 『あしたのジョー』のときに、マネージャーを通して僕に会いたいと。力也のことは東宝の『自動車泥棒』を観て知ってましたが、会ったらいきなり「力石は俺ですね?」って(笑)。彼は「力石は俺だ!」って頭から思い込んでいたんですね。いろいろ事情があってそれは出来ないんだ、いつか君とは必ず仕事したいからと話したら「この次ね!」って(笑)。次って言われてもアテがないから確約できないと言っても「イヤ、この次は俺絶対出ますから」って。脚本の大和屋竺にそんな話をして、会社にも安岡力也を使いたいからと言って脚本作りを始めたんです。

──敵役のバロンについて。

長谷部 1作目もそうだけど、悪役という風には考えてなくて、イイか悪いかより考え方が違う者のぶつかり合い、という方が強いんじゃないかな。

──バロンの大きなコンプレックスを持つ原因がきちんと描かれてますね。そこがドラマの中の対立構図になっています。

長谷部 そのアイデアも大和屋竺から出てきたのかな。

──監視塔のシーンについて。

長谷部 あれはセットで建てたんですよ。金網のフェンスもね。

──西部劇のようでしたね。あそこは西部劇で行こうと?

長谷部 そうでしたね。

──『野良猫ロック マシン・アニマル』について

長谷部 これは会社、製作部や営業がタイトル決めてましたからね。『〜セックス・ハンター』終わってすぐ脚本に入ったから、ずいぶん忙しかった。

──脚本は中西隆三さんですが?

長谷部 彼とは入社が同じ同窓でね。だから『皆殺しの拳銃』も彼だったし、彼は僕が監督になるより前に1本立してました。

──今回は『マシン・アニマル』というくらいで、バイクとジープ軍団のチェイスがありますけど、斬新だったのは、女の子たちがホンダのショップからミニバイクを連ねて来ますね。

長谷部 丁度ホンダダックスが売り出し中でね。1台じゃ画にならんから軍団なら面白いだろうと。でも大変でしたよ。重慶飯店の中を走るとかダルマ船の上を走るとか、仕掛けが大変でした。

 

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